大好きな絵本
連日、花粉症に悩まされている。目はかゆいし、鼻水はでるし、息苦しい。
現在、フリースタイル空手、ヨーロッパセミナーの準備、また、新しい武道に関する書籍の出版企画を進めているが、今ひとつ、アイディアが降りてこないし、纏まらない。
そんな中、幼い娘が私の本棚から絵本を見つけ、それを読んで欲しいという。
その絵本は、私の大好きな「100万回、生きた猫」という絵本だった。私は、「いいよ」と応え、絵本を読み始めた。
私は、絵本を手にしながら、知人を介して知り合った、志茂田景樹先生の事を思い出していた。なぜなら、志茂田先生は絵本の読聞かせをしているからだ。志茂田先生の絵本と読聞かせは、とてもやさしく、あたたかい。その志茂田先生の絵本の読み聞かせのように、やさしく絵本を読んでみた。
娘は大喜びだった。絵本では、最後のシーンで、猫が死んでしまう。絵本を読み終えた後、娘に「哀しくなかった?」と聞くと、哀しくないという。
この絵本の内容は、実はとても深い。
初めてこの絵本を読み終えた時、道に迷って、もう家に帰れないと、あきらめかけていたとき、目の前に家が現れたような、そんな気持ちにしてくれた。
同時に、作者が何を伝えたいかを私は考えていた。私の悪い性癖である。
私は、作者の伝えたい事が、愛だという見方には、与したくなかった。あまりにもありきたりだからだ。私は、もう少し深い世界観があるのではないかと、私は感じていた。
私が感じた、作者の世界観は、「世界の源は愛である」と言う事だ。そして、真の愛を知るまで、輪廻転生は行なわれる。この世に生を受けるのは、真の愛を知る、神から与えられた機会だ。作者の世界観の根源的要素は、愛である。それ(真の愛)を知らないものは、それ(愛)を語り、それ(愛)を求めて、輪廻転生を繰り返すが、それ(真の愛)を知った時、もう輪廻転生は行なわれない。それ(真の愛)と一体となるからだ。
それを仏教では、解脱、涅槃と言う。そんな世界観が描かれているのだと、私は考えた。考え過ぎ?勘違い?
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大好きな絵本
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