デジタル空手武道通信 第54号 編集後記
技術、技能を活かすこと
コロナパンデミックが始まり、2年になろうとしている。最近、ようやくコロナ感染者の増加が収まりつつあるようだが安心はできない。そんな中、飛沫感染に効果ありということもあって、防具を使った直接打撃の組手法に取り組んできた。その組手法は、極真空手の伝統的な組手法で培った技術に加え、私が長年にわたり、経験や研究を続けてきた、顔面突きありの組手法である。その組手法を実施して、早くも約1年が経過する。
その間、さまざまな発見やアイディアが湧き上がっている。アイティアの部分は、この組手法をベースにすれば、小武器(小刀・ナイフ)を使った組手法を安全かつ、空手の技術を活かしながら行えると考えている。また、顔面突きありの組手法による、技能や技術は小刀を持てば、力のない人間でも武器の殺傷力を活用して、その技術、技能を活かすことができると思う。そして、そのような考えが、武術全般共通の考え方だと、私は思う。
発見
発見した部分とは、この組手法は身体能力も重要だが、それよりも真面目で物事を慎重、かつ深く考える者の方が上達が早いということだ。もちろん、個人差があるだろうし、私の考案した拓心武術(拓心武道メソッド)に則って修錬したからだと思う。つまり、私のメソッドでなければ、体力の勝る者、気の強い者が依然として強いままだったはずである。また如何に真面目で、物事を慎重に考える者であっても、自分の癖を素直に改善する能力が低い者は上達が遅い。実はそれも発見の一つだ。つまり、いかに心のあり方が物事の上達に影響があるかということである。そして、ある癖を強く有する者は、その癖が形成される期間が長かったからに違いないとも分析している。その対策は簡単である。時間をかけて形成された癖は、時間をかけて直すしかないということである。中には、一瞬で癖を直す者がいるかもしれないが、私はそんなことを期待しない。ただ、自己と真摯に向き合えと教えるだけである。かくいう私も、直したい癖と格闘している。
「癖を直す」と言ったそばだが、ある程度の癖があるのは構わないとも考えている。要はそのことを自覚し、かつ活かせるかどうかだ。つまり、自分の癖を自然の理法(道)に合致させることができるかどうかが重要なのだ。そのためには、本号に掲載した戦法論の中にも書いた様に「ゴール」を明確に意識して行動することが必要だと考えている。
もう一つの発見・気づきとは、私の道場で長年、空手を稽古してきた壮年部の朴氏と小学生の頃から空手を続けている石毛くんが黒帯になったことによるものだ。段位は最終的には私が認定する。だが、生真面目な私は、朴氏を3回、石毛君を2回不合格とした。まず朴氏は伝統型、基本が正確でなかったので不合格とした。そして伝統型は頑張って上達が見られたので合格とした。その代わりに組手の技量をもっと上げてもらうために、組手試合の課題を設定した。その課題は、顔面突きありの新しい組手法であった。1回目の挑戦では、及第点を与えることができなかった。実は石毛くんの場合は、これまで組手にほとんど勝ったことがなかった。また、伝統型にも少し不十分な点があった。それでも伝統型は、彼が頑張り、形が整ってきた。問題は組手の勝利だ、と私は考えた。なぜなら、黒帯取得後に有段者として気持ちが充実しているかどうかが大事だと考えていたからだ。そして、気持ちの充実には組手の技量の向上を体感しなければ、と私は考えていたのだ。
基本的には、組手の強さよりも稽古に対する真面目さを優先する感覚が私には強い。なぜなら、稽古の仕方が真面目な者は、必ず上達する、と私は考えているからである(途中で投げ出さなければの話である。それが難しい)。だが、指導の仕方の影響が大きいと思う。そういう意味では、私の指導法がよくなかったのだと考えている。ゆえに現在、指導法を徹底的に見直ししている。その一環が、動画などによる修練教本であり、新しい組手法の採用、などの修練カリキュラムの改訂である。断っておくが、新しい修練法は、伝統的な極真空手のの基本を今まで以上に大事にするものだ(真の意味で)。ゆえに今後は伝統型や組手型の修練も本格的に行う。また、その中で空手本来の武術・護身術的な技の修錬も行うつもりである。その様な修練カリキュラム(修練法)によって空手武道修練のゴールを明確にしていくのである。ゴールが明確でないものは理解されない。またゴールを明確に意識できないものに上達はない。これが、未熟な空手少年が年老い、自らの人生の反省を重ね、思うことである。それゆえ、自らが伝える空手武道のゴールを明確にしなければならないと考えている。早く。
空手の黒帯をもっと価値のあるものに
さらに述べれば、彼らは黒帯までもう少しだという思いが強っかったのか、よく頑張ったと思う。そして、それは黒帯の魅力があればこそだと思う。だが、私はそこに居着きたくない。周りも私も、途中で投げ出すのではないか、と内心思っていたにもかかわらず、彼らはよく頑張ってくれた(私は投げ出さなければ大丈夫だと思っていたが)。そして、運よく試合で結果を出してくれた。運よくといったら彼らは心外だろうが、運よくである。だが運良くという中に大事なことがあったと思う。それは彼らの試合に対する心構えがいつもより真剣だったということである。要するに、心構えが真剣だからこそ、自己の力をいつもより発揮できたのだ。このことを銘記して欲しい。私も、人間の可能性を信じ、それを存分に発揮させるには、どのようなゴール設定とサポートをしたら良いかを考えている。そのことを掴み、具現ができたなら、自分の理想に向かって狂人のように生きてきた私でも人の役に立てるかもしれないと思っている。
朴氏は私より一つ年上、還暦を超えている。背が高く、センスはある。そして気が優しい人だ。石毛くんも気が優しく、真面目、いつも弟、2人を連れて道場に通ってくる。
朴氏合格のメールを事務局から受けたあと、車中で目から溢れるものがあったらしい。ようやく欲しいものが手に入った喜び、諦めなかった自分への感謝か。
兎にも角にも、そのことを聞いて、心が引き締まる思いがした。また石毛くんは、試合に勝った後から、組手稽古が積極的になった。見違える様に。今私は、空手の黒帯をもっと価値のあるものにしなければ、と強く思っている。