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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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子供たちを目一杯褒めて欲しい〜拓心武道メソッドは心から始まる

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 【子供たちを目一杯褒めて欲しい】

 ヒッティングセミナーを終えた。5時間の予定が7時間にも及んだ。希望者の紅白試合や新しい競技ルールの体験を含んでのセミナーだったので超過は予想していた。私は参加者の反応に注意しながらセミナーを進めた。

 反省点は、少年部には厳しいセミナーだったかもしれないということである。しかしながら、小学生の参加者は今後、受験や就職、様々な試練を体験しなければならない。

 7時間を及ぶセミナーの中、真剣に講師のいうことを聞き、訓練を続けたという経験は必ず、後々の人生に役立つに違いない。保護者の方々は是非とも、子供たちを目一杯褒めて欲しいと思う。また、このセミナーに子供を参加させた保護者の方々には感謝している。多分子供達には難しいことはわからなかったかもしれないない。しかし、私がセミナーで再三伝えたこと。「反則は許さない」「正確性が大事だ」「尊敬」「スペースを探し、そこに撃て」などなど。いつか心の中に芽を出すはずである。

 実は前日、短い時間で何を教えるかを検討していたら、夜更けまで眠れなかった。さらに朝早く起き、検討を重ねた。私の採点では、セミナーは70点ぐらいか。100点をいつも目指しているので悔しい。しかし、今回のセミナーは次回の経験値になった。活かしたい。だが、次回は同じようなセミナーはしない。私は1回のセミナーに全力を尽くしている。ゆえに仕事のエネルギーを貯めるには、それなりの目的が必要だ。

 セミナーでは、細かいところに目が行き届かない面もあったと思うが、同時に私には普通の人と異なるところに異常に目がいってしまう(この性癖には私自身が苦しんでいる)。例えば、保護者の顔や態度、講義を聞いている時の参加者の顔や態度である。実は、人の足の組み方、腕の形(腕くみ、貧乏ゆすり、手の形など全てが対象)、また事細かな動作が常に気になっている。ゆえに人を教えるということは私にとってストレスである。ゆえに私の目指すことは自然体である。補足すれば、私は子供達の自然体を大事にしたい。大人は不自然体の人が多い。極論すれば、日うわべの道徳や礼儀作法など、本当の心を隠す手段でもある、と私は考えている。ゆえに礼儀作法こそが「武」の究極であり、護身の本質(護心〜拓心武道メソッドは護身術の要素も含むが、本質的に護心道である)に繋がっている。しかしながら、そのことを理解していないで形ばかりを強制している人がいる(もちろん、その様な形を身につけることが有意義であることは否定しない)。しかし、礼儀作法の本質を知らないで強制する人は裸の王様になる可能性が高い。私はそんな人間になりたくない。

 断っておくが、ヒッティング競技における「礼」とその「尊敬の精神」は形であるとともに、ヒッティングの理念、哲学を表している。言い換えれば、そこに到達する様に、相手と正確に対峙すること。そして自他を正確に透視すること。最後に自他の関係性の中から新しい事柄を創造するというキーコンセプトを実践しなさい、ということである。さらに、そのために自分のすることに全力を尽くしなさい、ということだ。しかし、そんなことを理解できる人間は一人もいないだろう。ゆえに私の仕事は理想の空手道を追求することであり、それを伝えることが仕事だと言い聞かせて生きている。ここで、はっきり言おう。私の話を聞かないものは、やはり空手は下手だ。おそらく自分は上手いと思っている人が多くいるに違いない。しかし、本当は下手だ(セミナーでは、ダメ出しを私の中で禁じ手にしていた)。私自身が自身の未熟さにいつも悩んでいることを誰も知らないと思う。

 

【拓心武道メソッドは心から始まる】

 拓心武道メソッドは心から始まる。その意味は「科学の言葉を借りれば、心は原因となる独立変数なのではなく、それ自体、従属変数なのである」「心は目に見える行動と同じ原理で制御される“行動“なのである(行動分析学入門:杉山尚子著)」という言葉を借りたい。

 心のあり方が態度、行動にでる。行動できないのは心が変わっていないからである。つまり「心を変えること」が「心を拓くこと」。それが拓心武道メソッドの核心なのである。それは、私の言葉や技を直接みて感じること。その直接経験を見直すことが、心を拓く原点なのであるということだ。つまり、今回のセミナーで私が導入した顔面突き有りの組手の体験は、各々の直接経験を通じて心を変えるために組み込まれた種子なのである。だが、その意味を過去の経験に居ついて、“ピン”とこない人が多い。そのような傾向のある人は、きつい言い方をすれば、上達しないだろう。

 

【初心、忘るべからず】の本当の意味】

 上達とは、絶えず現時点での自己のレベル(自己のあり様)を認識すること。そして、それを活かしていくことなのだ。それが世阿弥の言った「初心、忘るべからず」の本当の意味であり、上達の道なのだ。言い換えれば、現時点の自己のあり様をより正確に認識し、それを忘れるな、ということだ。それは先述した様に「心(初心)は原因となる独立変数なのではなく、それ自体、従属変数なのである」ということだ。つまり、その様な心と行動の法則を認識することが大事ということである。

 

【次回は】

 次回は、同じようなことを秋吉か別の黒帯に行わせたい。そのセミナーに参加した者を次回の私のセミナーに参加させる。また、次回のセミナーがあるとしたら、顔面ありのヒッティング・アドバンスのセミナーである。そして合宿としたい。今回のセミナーでは、私の足腰は歩けないぐらいに疲労した。立っているだけで膝が痛む。やはり休みながら行わなければ、私の体が壊れる。

 私はヒッティング競技を含む、拓心武道メソッドを理解してくれる仲間を増やしたいが、当初は門戸を広げない。なぜなら、さらなる研究が必要だからである。ヒッティング・アドバンスは今回セミナーに参加した、少ない同志だけで十分だ。あとは、極真会館増田道場の会員とは別に、拓心武道メソッドの会員を通信教育で募集したい。誰も集まらないかもしれないが、どこかに危篤な人がいると信じたい。ただし、私をよく理解してくれる極真会館の松井館長とは交流の約束をしている。松井館長の依頼があれば喜んで私のメソッドを紹介したい。あとは交流を断つ。なぜなら、身体の治療と研究の時間が必要だからである。ただし、私の身体が良くなり、態勢が整えば、諸国を行脚することもあるかもしれない。身体の具合からすれば困難だが。

 

【追伸〜ラグビーW杯決勝戦について】

 仕事の合間にストレッチをしながらラグビーの試合の録画を繰り返し見るのが楽しみである。同時にそれはスポーツの研究でもある。

今回、南アフリカの優勝、イングランドの準優勝だったが、試合後のイングランドチームの態度が良くない、と問題になっているらしい。帰宅してから家内から聞いた。

 私はヒッティング競技のキーコンセプトに「尊敬(Sonkei)」と「武道人精神(BudoManShip)」を掲げた。セミナーでは試合の前後は必ず「立礼(日本式礼法)」を丁寧に行い、勝者、敗者共に敬意を表せと言った。それがラグビーの「ノーサイドの精神」と同様の競技コンセプトと言っても良い「尊敬の精神」である。

 よほど悔しかったのかもしれないが、判定に問題があったわけでもない。また完全に完封され、2トライも決められた試合である。翻って、イングランドに負けたニュージーランドが、そんな態度をとったであろうか。イングランドは素晴らしいチーム、そして監督だと、私は思った。しかし、アルゼンチン戦の時の態度の悪さを感じたのは、アルゼンチンサイドのみだろうか。私はアルゼンチン戦の時にイングランドチームの態度の悪さを感じていた。そして、それは国と国との因縁によるものかと思ったぐらいである。その印象が変わったのは、ニュージーランド戦、相手のハカに対する、V陣形を見たとき、イングランドが勝つかもしれないと直感した。そしてそれが当たった。その時は、私もイングランドチームのファンになった。それがどうして…。これ以上は書かない。

 

【南アフリカは】

 ラグビー決勝戦で、私が直感したこと。それは「イングランドチームはラグビーに勝つために戦っていた」。一方の南アフリカチームは「南アフリカ人のアイデンティテーと国民統合の象徴であるラグビーを背負い、かつ楽しみながら戦っていた」と私は見る。その違いが現れたゲームだったと思う。

 ある時、世界で一番危険な国はヨハネスブルグだと、ニューヨークに住み、世界中を回っている極真会館の松井館長に聞いた。南アフリカには、かつてアパルトヘイト政策があり、現在も人民の中に様々な問題があることは、私も知っている。映画でも見た。しかしながら、現実は想像以上に大変なのだと思う。そして日本人が天皇陛下を国民統合の象徴とする様に、南アフリカでは、ラグビーが国民統合の象徴なのだ、と私は思う。

 今回のW杯で、黒人と白人が力を合わせ戦う、南アフリカに、私はシンパシーを感じていた。だが、素人の私が見ても優勝する確率はとても低いと思った。それが優勝した。優勝候補のニュージーランドがイングランドに敗れるという番狂わせがあった。その様な中で、南アフリカは優勝した。ノーサイド後のチームメイトの白人と黒人が抱き合うシーンに感動したのは私一人ではないだろう。そして、こんな言い方はよくないが、私は南アフリカの黒人たち、全員の姿形(内面が見える)が大好きである。

【ラグビーから学び、空手界に活かしたいこと】 

 私が今回のラグビーW杯から学び、空手界に活かしたいこと。それは「勝つことは手段である、しかし勝つことよりも尊いことがある」ということだ。うまくは言えないが、自分のアイデンティティのために仲間を尊敬し、仲間のために全力を尽くす。つまり自分のために見えるが、深い所の自己を活かすために自分を投げ出す。また自分を使い切る。その精神が競技に勝つことよりも大事なのだ。その精神が人に希望を与える。そして、それを必ず天が見ている。

 

 

 


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