前日のブログの続き
~もし、伝統空手派の空手がオリンピック種目になったら、少子高齢化も併せ、愛好者の現象は否めないだろう。そうなれば、フルコンタクト空手家達は、どのような態度でいるのだろうか。
ここでいくつかのアイディアを挙げてみたい。その①、フルコンタクト空手道場も寸止めスタイルの試合に参加する(看板を換える)。その②、フルコンタクト空手の方が良いと宣伝して頑張る。その③、その他。~
(前日のブログから)
皆さんは、どのような選択をするのだろうか。ここで、断っておくが、寸止めスタイルがオリンピックゲームになったら、フルコンタクト空手はオリンピックゲームにはならないと考えるのが妥当だろう。
おそらく、フルコンタクト空手家の多くは、その②を選択するであろう。その選択を後押しする意見として、「オリンピックゲームにならなくても、ラグビーのように人気のあるスポーツがある」というのは、昔の話だ(以前は、そのような意見を持つ者がいた)。現在は、ラグビーも新しいルールを採用し(7人制ラグビー)、そのスタイルがオリンピックゲームになるようだ(リオデジャネイロのオリンピックから)。
私の選択は、③のその他である。その具体的な内容が、新しいルールを採用した、フルコンタクト空手と言っても良い、フリースタイル空手なのだ。
私はこれまで、大変多くの言葉を使い、フリースタイル空手プロジェクトを語ってきた。
その核心は、新しい武道スポーツを創出し、その中にフルコンタクト空手を活かしたいという「思い」である。そのような戦略で、寸止め空手が例え、オリンピックゲームになったとしても、フルコンタクト空手を承継したいと考えている。但し、従来のフルコンタクト空手に多様な格闘技術を移植(異種交配・融合)し、フルコンタクト空手を進化させた形で承継することを考えている。
その名称は、極言すれば、「空手」でなくても良い。しかし、フットボールから、ラグビーフットボールが生まれたように。また、ボールゲームにバレーボールやバスケットボールがあるように、「フリースタイル空手」であれば、空手の名称が2つあっても良いと思う。
重要なことは、世の中の多くの人(空手界外部の人達)に理解され、受け入れられることである。
私は、世界中のフルコンタクト空手愛好者が、10~20%の労力をフリースタイル空手プロジェクトに使ってくれれば、フルコンタクト空手界は変わると、考えている。
断っておくが、各々の流派の伝統的スタイルを捨てる必要はない。各々のスタイルは、そのまま継承していけば良い。そのように、柔軟に新しいプロジェクトを実施することができれば、かなりのスピードで、フリースタイル空手はポピュラー化する可能性があるはずだ。
現在のフルコンタクト空手界が抱える問題は、空手の理想を求めて、アウトサイダー(はみ出し者)となった時代の情熱や志を喪失したことだ。
そして、「空手はこういうものだという」思い込みに満ちた見解、武道の初心者のような見解を基盤に道場を主宰していることだ。
勿論、そのようになる理由は理解しているつもりだ。また、多様な各流派のスタイルの存在に関しては、先述したように、それが空手の魅力だと考えている。
しかし、フルコンタクト空手の愛好者達が誰でも参入できる、寸止め空手とは異なる新しい「場」を創ることに意味がある。その意味は、新しい場を創ることで、フルコンタクト空手を強くすることである。言い換えれば、フルコンタクト空手を磨き上げる場を創ると言うことだ。
私は、皆さんに、新しい格闘技スポーツ(空手武道スポーツ)の創出に、僅か10~20%の労力という投資をしていただけないかとお願いしたい。
より多様な人達が関わることで、文化的公共財としてふさわしくなる。さらに、オリンピックゲームのテーマであると思われる、「公正性」「創造性」「開放性(多様性)」「国際性」「安全性」の5つを兼ね備えた、格闘技スポーツが誕生する(開放性、つまりオープンネスを意味するが、多様性と言った方が良いかもしれない)。
さらに、これまでなし得なかった、フルコンタクト空手界の融和と連携がそこに実現するだろう。
以上のような提言を、異端者的な性格の私がすることには、反発があるかもしれない。
それでも、私の提言を聞き入れてくれる人を愚かにも求めたい。
最後に、フリースタイル空手においては、絶対に倒されない意識が必要だ。そのような意識は、格闘のレベルを格段に向上させる。
また、相手を「打つ」「蹴る」のみならず、「倒す(投げる)」「背後を取る」等、多様な戦闘アプローチを可能とする格闘スポーツは、一旦、理解すれば、面白くて止められなくなるはずだ。
●「年頭の夢~フルコンタクト空手界への提言」を終わります。お読み頂き、ありがとうございました。増田 章
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年頭の夢〜フルコンタクト空手界への提言 その2
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