恒例の初詣に出かけた。途中、初日の出を見ながら神社に向かった。時間をずらし、朝の7時頃に参拝したが、大変な人出だった。
年頭の夢~フルコンタクト空手界への提言 その1
空手がオリンピックゲームになったら・・・。
空手がオリンピックゲームになるとしたら、寸止めスタイルの伝統派の空手であると言うのが一般的だ。
全く以て当然のことである。早くから、連盟を創り、統一したルールで試合を行なって来ている。また、IOCにも働きかけ、実績もある。
一方のフルコンタクト空手派は、IOCにも働きかけようとも、統一された連盟すらない。
フルコンタクト空手家がオリンピックゲームを口にするのは、伝統空手派の空手家からすれば、噴飯ものだろう。
普通に考えれば、フルコンタクト空手のオリンピックゲーム化は不可能である。
しかし、フルコンタクト空手派も伝統空手派に勝るとも劣らない、競技人口を抱えている。その愛好者の数をなんとか活かせないものかと考えている。
「下手な考え休むに似たり」、そのような嘲笑が聞こえない訳ではない。
先ずは、統一された連盟、組織を作ること。それが先決であると言う考えは理解できる。
では、我々フルコンタクト空手家達は、どのように行動すれば良いのだろうか?
一般的な意見として、「先ずは、統一された連盟、組織を創ること」と言うものがある。
では、それは可能なのだろうか?頭の中では、可能である。
各流派の代表者が連盟を創る。それは可能かもしれない。しかし、その後が続くかどうか。できた組織をしっかりと運営・管理することは難しいだろう。なぜなら、それにはかなりの資金を要する可能性が高いからだ。大きな組織を運営する時は、多くの資金をトップに預ける覚悟がなければ、仕事ができるものではない。そのようなことが、連盟でできるとは思えない。
フルコンタクト空手家が統一した組織を作れないのは、資金を持つ者、政治を行なう者、実務を行なう者が連携を取れていないからだと言うのが、私の見解だ。
おそらく、伝統派が統一された時には、そのような連携ができていたのだと思う。
繰り返すが、先述のような組織の統一には、資金を出す者、政治を行う者、実務を行なう者の存在、また、その3者が理念を共有するという条件が必要だ。
理念の共有と言うのは、ある「思い」「信念」を共有すること言っても良いだろう。それを、我が国では、伝統的に「志」という。
残念ながら、現在のフルコンタクト空手界には、先述の条件を満たしたことがなかった。唯一、大山倍達先生がそれを満たしかけたが、何かが足りなかった。
一体、フルコンタクト空手に未来はあるのだろうか?
「何を言う」「未来がないのはお前だ」「俺たちの組織の未来は明るい」と言う声が聞こえる。また、「最後には、力のあるのもが残る」「雑魚は淘汰されるだろう」「ここは体力(資金力)勝負だ」など、自信とも強がりとも取れる組織の長達の顔が浮かぶ。
あくまで、私の想像である(そう思っていないことを願います)。もし、私の想像が合っていたら、なんとさもしい考えであろうか。それでは、まるで、ビジネス戦争ではないか。それは、決してビジネスを悪く言うのではない。ただ、「元々、空手や武道は、ビジネスではなかっただろう」と言いたいだけだ。
私は、そのような状況の中、みんなでフルコンタクト空手の可能性に賭けて見ようと、言いたい。また、そのための具体的な提言をフルコンタクト空手界にしたい(みんながそっぽを向いていても、しゃべり続ける、愚かな男だ)。
「皆さんの伝統的なやり方は、そのままで良いです」。その上で、「僅か10~20%の労力を、新しい可能性への投資として、提供して下さいませんか」と。
新しい可能性への投資とは、新しい空手武道スポーツの創出と言う事業への投資である。見返りは、フルコンタクト空手界の発展ということである。
もし、伝統空手派の空手がオリンピック種目になれば、フルコンタクト空手派のオリンピックゲーム化の可能性は、無くなるだろう。我々、フルコンタクト空手界は、伝統空手界の足を引っ張ってはいけない。
一方、アイディアとして、伝統空手派の人達と手を組み、寸止めスタイルとフルコンタクトスタイルの2本立てで、IOCに働きかけるのも有効な案であろう。
しかしながら、そのような案が通らなかった時、どうするのか?
フリースタイル空手プロジェクトを開始した当初、フリースタイル空手は、3種類のスタイルを並立させる設定とした(フェンシングを真似た)。
それは、1番目に伝統的な極真スタイル、2番目に倒し技等を加えたフリースタイル、3番目に下段回し蹴りをなくした、TSスタイルというように。3番目に関しては、それが寸止めスタイルでも良い。防具スタイルでもよい。要するに、私の考え(構想)は、多様な空手が一つに纏まるためには、多様なスタイルを認めること。そして、「競技スタイルは一つでなくても良い」という考えに立脚しているのだ。
私は常々、空手は多様なことがその魅力であり、それを活かしながら、和解するのが理想であると考えて来た。また、そのようなことができたら、社会モデルの一つにもなると考えたからだ。
少々脱線するが、私は、自分の道場に資金力があれば、伝統派の大会の選手も育成したいと考えている。その理由は、寸止め方式は、良い修練方法だと思うからだ。
但し、寸止めで優れた技が出来上がるには、かなりの修練量を必要とする。また、非公式で実際に当てる修練も必要である。おそらく伝統空手の達人達は、非公式で当てる修練を行なっているに違いない。ここが難しい。つまり、私は、寸止めが安全で誰でもできる競技方式との認識には、少々異論がある・・・(フルコンタクト空手の方が安全とも見方もできる・・・)。
補足を加えれば、私は10代頃、駆け出しの選手時代、伝統空手派の選手と試合をしたことがある。それ以来、伝統空手派には、とてもすばらしい技術があると認識している。
話を戻せば、もし、伝統空手派の空手がオリンピック種目になったら、少子高齢化も併せ、愛好者の現象は否めないだろう。そうなれば、フルコンタクト空手家達は、どのような態度でいるのだろうか。
ここでいくつかのアイディアを挙げてみたい。その①、フルコンタクト空手道場も寸止めスタイルの試合に参加する(看板を換える)。その②、フルコンタクト空手の方が良いと宣伝して頑張る。その③、その他。
(続く)
↧
年頭の夢〜フルコンタクト空手界への提言 その1
↧