Quantcast
Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

無形の媒介物〜人間を幸せにする空手 その1

$
0
0

無形の媒介物〜人間を幸せにする空手 その1

 

【序文】

 拙論のテーマは、新しい武道スポーツ、そして試合形式のTSスタイルのプレゼンです。その誕生の肝になったのは、人間を律しつつ、一つの目標へ向かわせる無形の媒介物の創出と言うことでした。

 

 私が言う無形の媒介物とは「理念」に基づいた「判断基準」と言っても良いものです。私は、京セラの名誉会長である稲盛和夫先生の門人です。稲盛先生は、まず我々門人に理念の重要性を説きます。今回、その理念についての理解が足りなかったことを、新しい試合形式を考案する中で気づきました。それは、稲盛和夫先生の説く理念とは、その「理念」に基づく「判断基準」とセットになって初めて機能するということでした。

 

 会社の経営理念は、大体、「世のため人のため」という社会貢献、他者貢献という思想に収斂されていくと見ています。なぜなら、企業が存立するのは、社会と人に有益であればこそですから、至極、当然のことです。

 

 問題は、その上で「理念」に基づいた、より普遍的かつシンプルな「判断基準」の設定ができるかどうかです。また、そのようなことが社員に対し、どのような効果を発揮するかを、経営者が認識できているかどうかです。つまり「理念」とそれに基づく「判断基準」とは、無形物でありながら絶えず人の心に働きかけ、人の心を律します。その限定が、深く心に作用すれば、叡智とも思えるアイディアが湧き上がることもあるのです。その様なことが個々が経営者たる、変化に強い企業体には必要なのです。

 

 また、企業経営ならずとも、剣道においても「剣の理法」に基づく「判断基準」としての「有効打突」が規定されています。要するに、剣道は「有効打突」という無形の媒介物の創出によって、試合におけるゲーム性を制御し、武道性を維持しているのです。

 

 もちろん、剣道に試合に批判的な人達がいることを聞いています。また私自身は、剣道の試合を行ったことがありません。しかし、私には、その”志”が明確にイメージできるようになりました。そして、剣道においては、試合における無形の媒介物が理念の延長となって、作用しているのです。

 

 企業の話に戻すと、言うまでもないことですが、稲盛和夫先生の説く理念は、単なる企業イメージの向上のためのスローガンとして存在するものではありません。なぜなら、京セラには。その理念に基づく、実にシンプルながら本質をついた「判断基準」が存在するからです。

 

 さらに、私が感じたのは、稲盛先生には、想像を絶する企業経営の中、叡智を湧出させるために、たえず「理念」とその「判断基準」に照らして思考するという、日々の営為があったものと拝察します。さらに言えば、稲盛先生が「理念」に基づく「判断基準」を全従業員(社員)に共有させたことの効用は、「理念」に基づく「判断基準」いう無形の媒介物が、社員の間をつなぐボールゲームのボールのように機能し、そのことによって組織体の一人ひとりの能力が向上するからです。

 

 結果、組織全体の機能が活性化し、より高次の仕事が可能になっていったのだと思います。理想を言えば、空手界が京セラと同じようになれば、社会に対し、とても大きな力を発揮すると思います。

 

 今回、私が新しい試合形式を考案するにあたり、その「理念」と「判断基準」いうものの重要性を空手家のレベルで再認したことを記しておくために拙文を書いています。以下の拙論で伝えたいことは、IBMA極真会館試合規約にある「クリーンヒットポイント」と京セラにおける「理念に基づく判断基準」、剣道における「理念に基づいた有効打突」と同義であるということです。実は、そのことをTSスタイルの試合規約がほぼ完成してから気づきました。

 

 ここで一旦、フリースタイルやTSスタイルの試合形式の考えるにあたり、数十時間もの思考実験に付き合っていただいた大森氏、荻野氏に感謝したいと思います。いつもありがとうございます。また、今回の原稿に関しては、道場生の福岡氏の見解が参考になりました。彼は柔道4段、柔術4段、空手2段、その他、古流剣術や槍術、手裏剣術まで、武芸十八般を目指す、現代の武人です。また生物学者のレールから外れ、さらに大企業の研究所のレールからも外れた、変わり者です(失礼)。私は、そのような我が道を行くが如しの感がある、福岡氏が弟のように好きです。なぜなら、かくいう私も同様の人間だからです。腰痛が少し改善する中、いつものように取り憑かれたようにPCに向かいました。以下、拙論を掲載します。

 

【第5回全日本選手権の決勝戦】

 僭越ながら、極真空手の第5回全日本選手権の決勝戦における、山崎照朝師範と盧山初雄師範の試合を見ると、しっかりと間合いを取り、一打一打をゆるがせにせず、試合を行っていました。あえて言えば、私は両者の試合を勝敗とは別の次元、観点から見ています。そこには、私の試合理論でいうところの「無形の媒介物」の共有が見て取れます。同様の観点から、空手に先駆け、武術に試合形式を用いた、剣術(剣道)にも、真剣という武器を扱うことを前提とした試合ゆえの「無形の媒介物」、すなわち理念の共有が見て取れるのです。

 

 武道というには、組織的にも体系的にも貧弱だった沖縄の武術が先人の大変な努力と時代の要請により、本土において組織的にも拡大していきました。戦前の武徳会の影響もあり、一般の人たちや、学徒の教育に空手の修練が生かされるようになっていったのではないかと、想像します。その後の本土における空手道の発展は言うまでもないことでしょう。私が着目するのは、本土における空手発展の黎明期、組手は剣道と同じように、「無形の媒介物」の意識が存在し、相手との間合い、そして一打をゆるがせにしない組手を行っていたと思われます。

 

 ただし試合形式に寸止め形式を採用し、選手が増え段々とスポーツ化していく中、理念に基づいた判断基準が曖昧になっていったように想像します。また、打突が打突が剣道と異なり、寸止めであることから技の判定に誤審の可能性が高まるということもあるかもしれません。審判の眼が優秀ならばと問題ないと思うでしょうが、現実はそう簡単ではないようです。ゆえに極真空手のような直接打撃制が誕生し、急成長したのでしょう。そのあたりは、いずれしっかりと資料を調べ、検証したいと思います。

 

 そのような空手道の発展の過程の中で、直接打撃制を掲げた極真空手は邪道、異端児と嘲笑されました。それでも、元々は同じ空手です。黎明期においては、伝統的な空手道の趣、形態を残していました。その形態がガラリと変わった分岐点があるように思います。

 

 言うまでもなく、すべての物事は変化します。その変化の原因を述べるのは、本論の主旨ではないので省きますが、大体、真理であろうと思います。だからこそ、変化の波に流されずに、上手に波に乗り、それを活かしつつ、自己の存在意義を維持しなければならないと思います。万物が流転する現実の中で、我々人間が意識しなければならないこと。それは、人間が他者に肯定されるよう、人間の存在意義を高めて行くことです。かなり抽象的ですが、我々人間を生かしめているのは、人間のみではなりません。無数の存在、無数の働きが宇宙にあり、それによって生かされているのです。

 

 私は一介の空手家ですが、人間がこれからも力を合わせ、叡智を湧出させて、人類を存続して行きたいのならば、何が一番大切かを問い続けなければならないと思います。「何が一番大切か」、私がいつも自分に問いかける命題です。そして、「あれとあれと…」「そんなの決められない」「みんな大切だと」なり、心をさらに問い詰めます。「そんなことを考えるのは、お前のような暇人しかいないよ」と周りから思われているに違いありません。しかしながら、私がどうしても納得できない人生を自分の責任だと思いながらも、何かもう一つ、納得する物を掴みたいのです。そのような物も形のないもの、無形物かもしれません。もしかすると、無形物と思われているが、思考の中から現れてくる何かに、真の事柄があるようにも思います。

【試合形態が大きく変化した分岐点】

 さて、極真空手の試合形態が大きく変化した分岐点があります。それはある有力な選手の登場と勝利から始まりました。そのように書くと、その選手が極真空手を変化させたと、私が考えていると思われるでしょう。私の立場はそうではありません。なぜなら、まず、その選手の登場と勝利が、本当にその選手のオリジナルかどうかを検証しなければならないということ。また、変化というのは、社会的な変化も含め、その各時代の社会システムや社会のあり様から起きる事柄だと考えるからです。

 

 その社会システムの中核は価値観だろうと、私は思っています。それは我々のような大衆の価値観、そして権力システム、さらにメディアの喧伝が大きく影響します。ゆえに、極真空手の試合形態の変遷も、大きくいえば時代背景とその要請、大衆の価値観、メデイアの喧伝によって形作られてきたのです。

 

 以下に簡単に極真空手の試合形態の変化について述べて見たいと思います。私の分析を否定、批判する向きもあるに違いありません。しかし、すべての変化は我々人間の価値観とその変化によってなされるのです。そして、その価値観の本質が「眼」なのです。ゆえに武芸者、空手家の私は、その眼を鍛えることに、多くの現実を犠牲にしてきました。それは孤独に耐えることでした。そしてその果てに、皆の「心眼」がいつか開くことを、愚かにも念願しているのです。

 【極真空手の試合形態の変遷】

 さて、極真空手の試合形態の変遷について私の見解を述べたいと思います。極真空手の試合形式においては、相手に技を効かせて倒すことが難しいという点が現実的に、理解されてきました。そして、その現実を利用するかのような戦術が生まれてきたことが、極真空手の組手試合の変質の端緒です。そして、私がいうところの無形の媒介物であった一撃必殺の理念を基盤とした判断基準の崩壊が始まったのです。

 

 さらに平たく言えば、一撃で倒れない、かつ倒せない現実を見て、その現実により有利な戦術が創出されたのです。具体的には、「相手に攻撃技を数多く当て、ダメージを与える」。次に「手数を多くし相手に反撃の間を与えないようにする」さらに「手数やフットワークで審判の主観に、「負けてない」という印象を与える」。大体のそのような戦術です。そして、そのような戦術を駆使するための稽古法は、ランニング、ジャンピングスクワット、打たせ稽古など、持久力の強化、また相手の攻撃を受けてもダメージを受けない、打たれ強さの養成が主になります。技術練習が皆無ではないでしょうが、先述したような戦術を採用すれば、当然、技術よりも体力面の強化が主になって行くと思います。私はそのような稽古法や戦術を全否定はしません。格闘技において体力は必要条件です。

 

 しかしながら、空手伝統の一撃必殺という真剣勝負の意識、またそのような意識を排除することにより、だんだんと技術のやりとりから乖離していき、体力と情念のみを頼りとする試合に堕していく可能性が広がって行くということです。極真空手で採用された「体重判定」という価値観も、先述したような何が何でも「旗判定で勝つ」、そして審判の技量や試合方式の現実的な不備を利用した戦術の一種なのです。「体重判定で勝つ」「旗判定で勝つ」ために優先される戦術の内容とは、先述した「相手に攻撃技を数多く当て、ダメージを与える」「手数を多くし相手に反撃の間を与えないようにする」「手数やフットワークで審判の主観に、「負けてない」という印象を与える」などです。そのような内容により、試合における優位性を審判の主観に訴えかけ、引き分けに持ち込み、体重判定で勝つ。大体そのような戦術です。

 

 少し脱線しますが、私は幼少の頃の経験により、実は30代の半ばまで心理的外傷がありました。そのため、時々、嫌な夢を見ました。ハードトレーニングは嫌な夢を見ないための、私の処方箋でもありました。その経験により私は、先述したような人の評価を懇願するような判定方法や姿勢が、とても辛く、非人間的なことだと、考えています。おそらく、普通の人にはわからない感覚だとおもいます。極端に単純化して言えば、器量の悪い人間が美人コンテストの基準で審判される。そんな感覚をいつも10代の頃から感じていました。かなりの矮小化だと批判する人は、人間社会に今も巣食う、そのような判断基準に鈍感なだけです。しかし、一度で良いから、他者の主観により否定され、仲間はずれにさせられた経験がある人には、想像できると思います。

 

【当時を回顧すれば】

 話を戻して、当時の極真空手の状況を簡単に回顧したいと思います。私は石川県で極真空手を始め、その後、大阪で修行し、さらに東京で山田雅俊師範率いる城西支部で、道場を任されていました。山田師範の教えは、相手の攻撃をしっかりと受けるというものでした。その考えは、私が石川支部時代から引き継いだ意識です。

 

 また私は10代の頃、石川支部の先輩で、空手の天才と誉れの高かった、水口敏夫先輩と組手稽古を繰り返していました。その中で、なんとしてでも完璧な防御力を身につけなければならないと、受け技の大切さを強く植え付けられました。なぜなら、水口敏夫先輩は、相手の動きを見切り、技を当てるのが上手かったからです。しかし、城西支部のスタイルに批判的な他の道場では、下段などを受け必要はないと教えられていたようです。つまり、下段回し蹴りを受ければ、それだけ身体の軸は崩れ、反撃も遅れる、ということではないかと思います。そこにすでに勝つことの最先端を追求するという、勝負至上主義(勝負偏重主義)の萌芽が見て取れます。

 

 そこには、かつてあったと思われる「一撃必殺という理念」はありません。またその技術の基盤である「眼」そして志もありません。すなわち、当時の極真会を支配しつつあったのは、試合に勝てば官軍という意識だったのではないかと思います。言うなれば、勝利至上主義が支配していたのです。しかしその意識は、間違いだと断言します。その理由について述べるのは別の機会としますが、平たくいえば、単なる勝ち負けになって行くということです。

 

 かくいう私もそのような極真空手の意識並びに試合法の流れに飲み込まれて行きました。当然、そのような試合法に合わせざるを得ません。それは、とても苦痛でした。もし、もっと良い試合法があれば、野球選手のように40歳、50歳になっても試合を行っていたかもしれません。また、剣道のように70歳、80歳になっても、仲間と剣を交えること(組手)が可能となるでしょう。

 

 蛇足ながら、空手の試合には、生き死にで、決着をつけられないが故の、極めて政治的な勝負の姿が見て取れます。それは人間の社会活動における本質とも言えるかもしれませんが…。私は単なる勝ち負けとスポーツは異なると考えています。高次のスポーツとは、権力に左右されることなく、人間一人ひとりの深い了解と納得が前提となっているものです。そのような行為こそが、人間の心を解放する役割を担うのです。

 

 少し脱線しましたが、そのような試合に対する私の意識に大きな変化が見られた時があります。当時の私は、全日本選手権と世界選手権に10代の頃から10回ほど出場し、その中で極真空手史上最強と思われるような選手や極真空手の組手の強豪との修羅場を数多く経験していました。その中で旗判定の勝利を目指すことしかできない自分に疲れ切っていました。

 

 その時、私の中に「組手の質を転換するのだ」という意識が芽生えたのです。それが100人組手への挑戦の意味です。具体的には、一打の効力を限界まであげるための見切り、そして増田流の後の先である”応じ”の技術を駆使し試合を行うことです。しかしながら、その試合レベルを審判や他の空手家は理解できなかったと思います。

 

 再度、極真空手の試合の歴史を振り返ります。極真空手の絶頂期の前あたりから、「旗判定」に勝利するために、打たれ強さを基盤に、相手より手数を出し続ける、そのような戦術が生まれました。そして、それが極真空手の試合の典型的戦術になって行ったのです。しかし、その姿は、自他がともに高まり合う姿ではなく、他者より自己が優れているという意識、そして他者との勝利に拘泥する姿です。そのような人間の情念が現在の空手界を形作っているように、私には見えます。さらに言えば、そのような勝利至上主義的な指導者たちが掲げる、打たれ強さ、手数、さらに言えば、そこから派生する「あきらめない」という信念は、全否定はしませんが、私はもっとも不幸をもたらす信念だと考えています。

 【「あきらめない」という信念とは〜個の尊厳】

 なぜなら、極真空手の試合における「あきらめない」という信念とは、人類の闘争の歴史に見られる”人命”や”個の尊厳”を軽んじる価値観に繋がっているように思えるからです。また戦史においては、無理な戦術を正当化する常套句のように使われてきたと、見ています。

 

 私がTSスタイルという試合形式、通称“ヒッティング(Hitting)”に込めた思いは、”個の尊厳”を最も重いものとして考える思想に立脚しています。それはTSスタイルに先駆け構想した、フリースタイルカラテに込めた祈りをTSスタイルにも引き継がせたと言っても良いでしょう。

 

 ならば、真(ほんとうの)の「あきらめない」という信念とは何か?そして、真(ほんとうに)の「あきらめない」という信念は、「内発的な人間の良知と共振し合う希望」ではないかと、私は考えています。換言すれば「人間は希望がある限りあきらめない」ということです。そして、すべてのジャンルで必要なリーダーの最も重要な役割は「人が希望を失わないようなシステム(社会システム)」を作り上げることなのです。

 

 私の考案した試合方式には「キョクシンスタイル」のみに旗判定を残しています。しかし、「フリースタイル」「 TSスタイル」には、「旗判定」はありません。そのことによって、TSスタイルの試合に参加する道場生には、「自他を幸せにする空手」の追求を一緒に考えていただきたいと思います。また、理念と判断基準を合意しつつ他者と交流すれば、自他を理解し、尊敬できることが可能となると言うことを体感してほしいと考えています。

【総括】

 総括すれば、極真空手の試合の歴史では、極真空手の絶頂期の前あたりから、旗判定に勝利するために、打たれ強さを基盤に、相手より手数を出し続け、審判の印象を重んじるような戦術が生まれました。そして、それが極真空手の試合の典型的戦術になって行ったのです。しかし、その姿は、自他がともに高まり合う姿ではなく、他者より自己が優れているという意識、そして他者との勝利に拘泥する姿です。そのような人間の情念が現在の空手界を形作っているように、私には見えます。

 

 さらに言えば、そのような勝利至上主義的な指導者たちが掲げる、打たれ強さ、手数という要素は、格闘技的な強さには必要条件です。しかし「理念」に基づいた「判断基準」を媒介物にして自他を向上せせる、すなわち空手で言えば、技術を向上させていくこと。また、その技術を理念に基づいて、審判していくという面からみれば、勝負至上主義に陥り、「勝てば官軍」というような思想に傾いていくように、私は思います。ここで私が本当に言いたいのは、極真空手のみならず伝統派の空手でも、野球やサッカーのように敗けた原因が明確に分析できないことです。同時に勝てなかった理由が了解できないということです。はっきり申し上げて、判断基準が曖昧なのです。これが、一番の問題の核心だと、私は考えています。

【人間を幸せにする空手】

 格闘技の試合においては、相手を倒すという共通目標があります。そして、そのための典型的戦術は、相手にダメージを与える戦術を駆使するというのが打撃系格闘技の宿命だと思います。しかし、私はそのような目標を一旦、奥の間(奥伝)に封じ込めます。かつての私も、すべての格闘技を「相手の戦闘力を奪うこと」とし、その命題の解明のための「フリースタイルカラテ」を考案しました。

 

 しかし、そのような命題の解明を封印します。そして、もう少し道場生のレベルが上がり、道場生が増えたら再開します。言い換えれば、極真空手をオリンピックスポーツに変えるというような大きな理想を一旦傍に置き、再度、空手道の原点に回帰し、基本から空手流派を作り直すことに必要な要素が、TSスタイルという試合形式なのです。その内容は、理念に基づいた判断基準(判定基準)を明確にし、それを媒介物として了解し、試合を行うということです。

 

 私はTS形式を採用した試合の方が、IBMA極真会館の理念の具現化に良いと思います。また、それを優先させた方が増田空手の礎になると考えます。なぜなら、TS形式は、自他の行為を可能な限り明確に分析し、次の成長の糧にできるからです。私は勝敗ゲームを通じ、それを行う自他が共に成長していくには、負けた原因が明確に理解でき、そして納得できることが最低条件です。それが明確でなければ、敗者のみならず勝者の人間性もゆがんだものになると、私は直感しています。

 

 私は空手をそのような宿命から解放させたいと考えています。それが私の本当の願いなのです。そして、そのことが実現すれば、空手によって交流した自他が、互いの存在と関係性の中で、幸せの本質を掴みあっていけると思うのです。 私は今、"ヒッティング”の目標を「人間を幸せにする空手」としようと考えています。

 

そのためには、誤解を恐れずにいえば、空手ならびに試合を、それを行う者の人生を楽しむための遊具とすることが必要です。私は人間の営為の構造を一種の遊び、そしてゲームと見ています。また、人生を切り開くキーポイントは、そのゲーム性をいかに捉えるかだという直感があります。そのことに関して、いつかまとめたいと思っています(誰も望んではいないとは思いますが)。

 

 最後に、増田空手の理念とは「武術の修練による心身錬磨を通じ天地自然の理法を学び自他一体の道を修める」です。武術の修練とありますから、伝統的な極真空手の修練にある、組み技や逆技や武器術の修練も行います。ただ、組手は、相手と共に技術を磨きあい、空手道を高め合う手段だということを認識すること。そして私は、「見果てぬ夢」として、「相手と打ち合い、蹴り合う空手」ならびに試合が、「相手と認め合い、友達になる手段」となるようにしたいと考えています。

 

 蛇足ながら、現時点における「何が一番大切かという問い」に対する私の直感的な解は、「個の尊厳を護る」ということです。まだ、「新しい武道スポーツをデザインする 改訂版」は未完成です。また、私の心身の具合は良くありません。それでも、少しでも早く、広い世界に存在する同志に届くように、またそのことを信じて、この拙論を掲載しました(斃而後已〜礼記より/増田 )。

 

 

 

2018-4-2:なんども加筆修正しました。

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 480

Trending Articles