自分(増田・お前)に言う〜ある日の内省より
自分が恥ずかしい…。
たまに道場生の空手の下手さを嘆くことがあるが、それよりも自分の説明の仕方の下手さの方が嘆くべきことであった。そのことに気がついた今、自分が恥ずかしい。そして、穴の中でも入りたいような気持ちの中、静かに自分に言い聞かせている。
日頃私は、自分の説明の仕方の下手さを顧みないでいたかもしれない。それは本当に恥ずかしいことだ。今、「自分の説明の仕方を磨け」と自分に向けて言い聞かせている。
具体的には、「言葉の繰り返しは極力しない」「雑音的な言葉をなくせ」「用いる言葉を少なく」などなど。
さらに言えば、言葉を少なくし、もし相手に通じなければ「言葉の選択と用い方が失敗した」と、今後は考えたい。
もし、お前の考えが他人に伝わらないと感じたなら、「時間をおいて、違う言葉と用い方で説明しろ」と言いたい。そうすれば、相手が理解する可能性も出てくるだろう「。
その場で、急いで相手に理解してもらおうとするから、言葉が多くなるのだ。
さらに自分に言い聞かせたい。「良い意味で諦めろ」と。そして「切り替えろ」。さらに「次の機会を待て」と。それでもまだ、前が「次の機会はない」と恐れるなら、その気持ちは「最悪の状態である」と肝に銘じるのだ。
それでも恐れが生じるのなら、伝えたいことを文字に書き落とせと言いたい。そして、気持ちを落ち着かせるのだ。ただし、人に読ませるために書くのではなく、自分の心を観るために書くのだ。書いて一息つけ。
また、自分のことを理解してもらおうなどとは考えなくて良い。そもそも、誰もが他者の考えの完全な理解などできないのだ。おそらく、個々が理解しやすいように変換しているだけだ。本来、自他は本当に簡単なことしか理解し合えないのだと思う。つまり、自他の理解とは、実は幻想と対峙するがごとく、実はとてつもなく困難なことだということだ。
要するに、お前がそのことを理解していないことが、強烈な恐れを生じさせている要因の一つだと思う。
それでは、どのようにしたら自他の理解が進展するのだろうか?
まずは簡単なことから伝えるのだ。また、できるだけ良いところを褒め、辛抱強く言葉を交わすのだ。そして、いつか相手の内側から、共通の言葉が出てくるまで我慢するのだ。また、相手の言葉の真意をもっと深く感じ取れるように訓練するのだ。とても大変なことだろうけど…。もう一つ、自分自身の内省に時間を取ることを忘れないようにしろ。おそらく、厳しい内省が自分を磨く基本だろうから。もし、それで苦しかったなら、映画でも観に行け…。
(ある日の内省より)
2017-9-17:一部修正