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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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生きるということの芸術家

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【生きるということの芸術家】

 

『我々は自然の恵みによって人間たる以上誰でも芸術家たることを許されている。

芸術家といっても画家とか彫刻家、音楽家、詩人という特殊な芸術家を言うのではない。

“生きるということの芸術家”なのである』

 

「禅と精神分析」小堀宗柏・訳/「鈴木大拙全集(増補新版第28巻232ページより引用)

 

 

以上は世界的な仏教学者、鈴木大拙氏の言葉である。私は金沢市にある鈴木大拙館で、その言葉が書かれたカードを目にした。

 

当然のことながら、私は肩書きのみで人を観ない。私は時に、人と人の人生を芸術作品として観る。その際、まず、その人の魂を観る。同時に生き方(技術)を照らし合わせる。不遜ながら、超一流の経営者である、稲盛和夫氏の人生を聞き、その人柄に接したとき、その人生、人格を優れた芸術作品だと感じた。他方、名もない市井の人の何気ない佇まいに、芸術作品を感じることもある。おそらくその人の人生も芸術作品のようであるに違いない。できれば、もう俗を捨てて、人とその人生を芸術作品として観て生きていきたい。それが、写真家を志した時の目標でもあった。同時に、そのような生き方こそが、増田流の「俗とともに生きること」でもある。

 

▼鈴木大拙

 

 

 

 

【蛇足】

 

以上のような説明では、増田が何を感じているかはわからないかもしれない。ただ、先述した鈴木大拙の言葉を目にして、大拙氏と私が、似たような眼差しを持っていたのではないかと、不遜にも感じていること。そして、自分の信念に基づいて生きていきたいと、強く思っている(今のままではダメだという意味で)ことだけは、蛇足ながら述べておきたい。

 

 

実は、20代の頃、鈴木大拙のことをほとんど知らなかった。30代の頃、幼少の頃の恩師の一人である永江輝代氏に「金沢が生んだ世界的思想家を知らない?」と、西田幾多郎の名前とともに教えていただいた。初めて読んだ著作は、「東洋の心」か「日本的霊性」だったと記憶する(自信がない‥)。

 

そこから、全ての著作とはいかないが、かなりの数の著作を読んだ。そして禅の思想にのめり込んだ。ある日、鈴木大拙氏の没後、高弟の古田紹欽先生が後を継いだ北鎌倉の松ヶ岡文庫に、私は手紙を書いた。そして私は、古田紹欽先生の承諾を得て、北鎌倉を訪ねた。その時、古田先生は、私に鈴木大拙先生の書斎を見せてくれた。庭に面した小さな部屋だった。そして、鈴木大拙先生が朱で返り点を入れた、臨済録の復刻版をいただいた。臨済録とは、禅宗の一つである臨済宗の経典である。武道家の心には、臨済の教えが、感応しやすいように思えた。ただ、道元の体系だった教えも、素晴らしいと思うし、私には興味の対象であるが。

 

実は、小学校3年生の頃、私は親鸞の本を読み、その感想文で表彰されたことがある。早くに夫を亡くし、信心深かった祖母が、私を可愛がり、よく寺院を訪れたこと。私の育った土地が、浄土真宗の信徒の多い土地柄だったことが、私の宗教心に影響していると思う。

 

私が鈴木大拙氏を好むのは、大拙氏に、禅のみならず、親鸞の教えをも包摂する、深い宗教体験と宗教理解があるからだ。つまり乱暴に言えば、理屈を並べるのではなく、根底に人間としての深い体験がある。それゆえ、大拙氏の思想には、普遍性があると思うのである。

 

少し鈴木大拙氏について紹介したい。

鈴木大拙氏は、外国に禅を紹介した仏教学者である。今日の禅ブームは、北鎌倉にある名刹、円覚寺の釈宗演禅師の通訳として鈴木大拙がアメリカに同行したのがスタートのようだ。海外における禅の理解は、卓越した英語力とともに深い宗教体験と理解を得た、鈴木大拙の存在と著作がなければ、成し得なかったとも言われている。その影響は、亡くなってから51年以上もたつ今日も続いていると思う。ノーベル賞候補にも上がっていたらしい。

 

 

 

 

 

 

2017-7-22加筆修正


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