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私の好きな本〜6月11日、朝刊の読書欄から

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今日の朝刊(朝日)に井筒俊彦氏の「意識と本質」という本に関する記事があった。寄稿者は社会学者の大澤真幸氏である。

 

私はこの記事に嬉しくなった。実は、この本は出張にどの本を持って行こうかと、私が悩む時、必ず持ち歩く本だからだ。

 

さて、その辺を以下に詳しく書きたい。

 

私は子供の頃から本が好きである。成人し、経済的に余裕ができてから(家族ができ、現在は困窮しているが)、本を買い続けている。実は図書館を作り、そこで暮らすのが、私の夢だ(叶わぬ夢かもしれないが)。おそらく、家内は怒り心頭に達したことが何度かあるはずだ。現在は諦めの境地だろう。おそらく、周りは、そんなに多くの本を全て読めるのかと疑問を持っているのであろう。確かに全ての本を読むのは難しい。しかし、精読するもの、斜め読みするもの、興味のあるところだけ読むもの、資料として買っておくもの、などなど、私にとっては全て必要なものなのだ。そして6割は読み、後の4割は、少しだけ読むか、資料としておいてあるものである。本当は、全ての本を精読するのが私の理想である。ゆえに、出張で電車や飛行機の中に缶詰状態になるとき、ここぞとばかりに本を読もうとする。その結果、カバンの中が本でいっぱいになることが多々あった。周りはその姿を笑った。さすがに私も経験を重ね、そんなに多くの本を詰め込んでも読めるはずはないと、考えを改めた。そして、何度も目を通す本を決め、その本の中から1冊、新刊を1冊だけ持ち歩こうと考えている。その何度も目を通そうと決めた本の一つが「意識と本質」である。

 

では、なぜ、この本に何ども目を通そうと考えたかである。その理由が大澤真幸氏の解説でよくわかった。以下に大澤氏のくだりを載せたい。

 

『こうした紹介から感じ取ってもらえるだろうか。本書を貫いている「普遍」への意志を、である。人類が蓄積してきたあらゆる知を総合して真理に迫ろうとする驚異的な野心。これに深く感動する』(大澤)

 

私は、20年ほど前、仏教や哲学、そして社会学等の本を多く読んだ。仏教は鈴木大拙に惹かれ、その著作や禅に関する著作を多く読んだ。哲学はドイツやフランスの哲学者の著作、社会学では、ニクラス・ルーマンの社会システム理論に惹かれた。そんな中、日本、中国、西洋の宗教や思想、さらには、インドとイスラム社会の宗教と思想など、すべてを東洋思想の中に包摂し、そこに内在する普遍性を探求しようとする井筒先生のこの著作に惹かれたのだ。

 

正直言えば、私は大澤先生(面識はないが敬意を表して、そう呼びたい)の見識には足元にも及ばないだろう。しかし、大澤先生が述べたことと同じことを感じていたのだ。

 

この本に関して、もう一つ話したいことがある。10年ほど前に、シリア人の松濤館空手の世界チャンピオンと知り合いになった。彼は奥様が日本人だった。それゆえなのか、日本語がとても上手だった。初対面では、非常に誇り高い感じがしたが、誠実かつフランク、かつオープンだった。とても話しやすく、一度、食事でもしながら、じっくり話をしたいと、私は思っていた。ある時、彼にイスラム文化の話を質問した(私は質問好きである)。その時私は、井筒先生の著作から得た、イスラム教に関する知見を伝えた。私は、この考えは井筒俊彦という先生の本から学んだと、その時に伝えた。そのとき彼は、「井筒という者を知っている」。「テレビで見た」。「彼のイスラム文化に関する見方(見識)は完璧だ」と言ったように記憶する。その後、私が忙しくなり、彼と会う機会はなくなり、現在は連絡先を紛失してしまった。その後のシリアの情勢を聞くにつれ、時々心配している。つまり、私が井筒先生の著作を何度も読み返すのは、現在の中東のみならず世界の情勢の本質について考える際、大いなる示唆を与えてくれると思うからである。

 

その後、井筒先生に対する、各ジャンルの専門家たちの異論を目にしても、井筒先生を私は支持したかった。なぜなら、井筒先生のような大きな視点で物事を観る学者がいないように思うからだ。つまり自己から世界を、世界から自己を、とでもいうような、包括的かつ個別的(特殊)な思索方法こそが、知的欲求を昇華させる、究極の姿ではないかと、私は思うからである。

 

私は頭が悪いにもかかわらず、その知的欲求として、「世界の構造とは何か、その中で自己とは何か」という問いを立てざるを得なかった。人類が数多繰り返してきた、分裂(対立)闘争の最中にあって…。

 

最後に大澤先生の言葉を繰り返したい。『人類が蓄積してきたあらゆる知を総合して真理に迫ろうとする驚異的な野心。これに深く感動する』

 

昨今は、「ポスト・トゥルース」の時代だと、言われているらしい。

 

だからこそ、私はこう思う。大衆迎合的で、目先の支持を求めるような思索や言説を行う学者、知識人は見たくない。そうではなくて、井筒先生のような、「より深い知の探求」を試みる学者の出現を、これからの時代、そして、この国から待ちたいと…。

 

 

 

 


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