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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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不思議な夢を見た〜愚か者の夢

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【不思議な夢を見た〜愚か者の夢】

 

 

7月6日、私が時々気分転換に訪れる富士山麓の西内邸は、部屋数が多くかつ広い。また庭と周りの環境が素晴らしい。私は西内氏が大好きである。最近、家族を含め、誰も私の相手になってくれない(昔からか)ので、ずっと西内邸に行きたいと思っていたが、時間がなかった。今回、良いワインをいただいたので、一人で飲むのは勿体無いと思い、急だったが、西内氏に電話をかけた。珍しく、タイミングよく電話に出てくれて、突然の訪問を快諾してもらった。夜から向かい、一杯やった。普段私は、外では飲みたくない。お酒が弱いのと知らない人が大勢いるところで飲むことに嫌悪感があるからだ。また、家の近くで飲むなら良いが、それ以外では緊張感が高まる。その点、富士山麓は、とても安心できる場所だ。私は、飲める人から見れは、ほんの少しの量だが、この日は西内氏と共に飲んだ。

 

わずかな量だったが、私は飲酒するとよく眠れない。この日も眠りが浅かった。また、私は自分の部屋以外では眠れない性分だ。それが原因ではないと思うが、自分の片腕が捥げ、母親に、捥げた片腕を早く冷凍してくれと、催促している夢を見た。夢の中で私は、片腕を冷凍し、なるべく早く手術をしなければと考えていた。また、これから片腕になるかもしれないと、焦っていた。私は時々、夢を記憶しているが、今回の夢は、少し奇妙で不思議な感じのする夢だった。

 

7月7日、朝の早い、西内氏に遅れて起床した後、朝からパソコンに向かった。朝の清々しい気の中、久しぶりに頭が回転してきたように感じた。そこで、空手武道通信のアイディアを書き留めた。その内容は私の道場のサイトとフェイスブックにアップしてある。是非、見て欲しい。

 

実はこの日、数ヶ月前に急逝した、極真空手家の黒澤浩樹氏を偲ぶ集まりがあった。私は、その集まりの発起人に名を連ねていたので、サイト作成の作業を保留し、午後には東京に戻った。「黒澤浩樹を偲ぶ会」と掲げられた会場では、久しぶりに再会した、懐かしい顔が多く見られた。

 

 

このブログは、サイト制作に触発され、その番外編として書いたものである。そのサイトのメッセージの中、私の空手家としての立ち位置に触れた。私の空手家としての立ち位置は、「極真空手を最高の空手にする」ということと言って良いだろう(できれば、空手武道通信のメッセージと合わせて読んでいただくとつながる)。

 

さて、7月7日は七夕の日らしい。「黒澤浩樹を偲ぶ会」では、共に極真カラテの看板を背負った、松井章圭、七戸康博、岩崎達也、派閥を超え、多くの仲間が集まった。松井氏は昔から律儀な男だった。私は昔から、彼のそんなところを大好きかつ尊敬している。「黒澤浩樹を偲ぶ会」は岩崎達也氏と松井氏の尽力により主催された。私は松井氏の行為を素晴らしいと思っている。私は、黒沢氏のことを極真空手の一時代を共に背負った、「戦友」として讃えた。私は、たとえ過去に確執があったとしても、ここはラグビーのように「ノーサイド」として立ち振る舞うべきだと、考えていた。また、心からその存在に感謝できるような生き方をしなければならないと思っていた。同様に考えたかどうかは、わからないが、七戸氏は、遠く沖縄から参列し、参列者と共に、在りし日の黒澤氏を讃えた。大変、美しい光景だった。また、正道会館からは、角田氏が参列していた。私は角田氏が好きである。だいぶ前に数人で食事をしたことがある。そんなに親しい付き合いはないが、角田氏も律儀な人である。ここで断っておくが、私と黒沢氏はなんの確執もない。私は、形式張った付き合いが、面倒臭いがゆえに、人付き合いが苦手である。ゆえに、これまで多くの素晴らしい人との交流の機会を逃してきたかもしれない(その代わりに腐れ縁が多い?)。

 

もう少し松井氏のことに触れておきたい。最近、松井氏とは昔の関係性を取り戻し、口論ができるようになった。これまでは、立場の違いを考え、遠慮してきた。しかし、私は今、ここでいう「立場とは何か?」また「立場の違いとは何か?」を、自分に問いかけている。皆、本当にその意味を理解しているのだろうか。もちろん、人の立場を尊重することが、社会において必要なことぐらいわかっている。しかしながら、その意味を真に理解しようと試みれば、力の優劣、組織、勢力の大小、年齢の上下等の違いは、双方向で理解しなければならないのではないだろうか。反骨の性分の私からすれば、むしろ、上のものが下のものを、権力を有する者が権力のないものを、力のある者が力のない者の立場を慮ることこそが、立場を考えることの社会的意義だと思う。また、繰り返すがこれからは、双方向で立場を慮り、交流する。世界の平和を求めるなら、そんな考え方、スタイルがこれからの世界に必要だと思う。ともあれ、松井氏とは、そういうことも含めて、今後、若い時の幼稚な口論と異なる、高いレベルの討論、対話ができると思っている。上から目線だと感じるなら、御免。


 

「黒澤浩樹を偲ぶ会」は、たまたまなのか、何かの夢を込めたのかは、わからないが、七夕の日であった。この日、私は極真空手の価値を高める、そんな願いを込めた。

 

もっと「黒澤浩樹を偲ぶ会」の模様や追悼を書き記したいが、機会を改めてにしたい。

 

最後に、富士山麓で今朝、私が見た夢は、そもそも私の序盤の人生(幼い頃)が片腕でスタートしているということの暗示であると思っている。それを今の今まで、変わり者と思われながら片腕で必死に生きてきたというのが本当の姿だ。幼い頃からの片腕ゆえに、特に片腕に対する憧憬が強くなった。私は、いつか片腕を取り戻そうと頑張ってきたのだが、取り返す余裕もなかった。それが私の人生だ。見方によっては、私は諦めが悪く、執念深い人間に見えるかもしれない。同時にそのような生き方は、愚か者の生き方の典型かもしれない。私は、そう思いながらも、愚か者のままで生きてきた。そんな生き方しかできなかった。これ以上は、詳しく書かないと意味が伝わらないと思うので、このぐらいにしたい。

 

おそらく、7月7日に見た夢は、「お前には、昔から片腕がないんだ」「急がなければ、片腕が取り戻せないぞ」と、さらに「もう片腕なら片腕でも良いではないか」「いい加減、覚悟しろ」と、神様が、愚か者の私に囁いてきたんだと思う。

 

2017−7−8一部加筆修正

 

 


 

 


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