以下のブログは、一度は会員限定にした。しかし、政治家に対しては、一定の批評や批判は申し上げても良いと思ったので限定を解除したい。ついでに、辛辣なことを付け加えておいた。
蓮舫氏を代表に据える民進党の復権は、困難だと思う。
なぜなら、蓮舫氏を支持する人たちの判断基準が選挙優先かつ浅はかな人気取りだと思うからだ。なぜ、政治家と言われる人たちは、こんなにも選挙優先の考えをするのだろうか?
一方の前原氏や玉木氏は、政治家としてまともだと思う。確かに前原氏には欠点があるかもしれない。しかし、磨かれれば、もっと輝く人だと思う(随分上からの物言いだが…)。また玉木氏は、私が感じたように、かなり良い筋の政治家のようだ。
乱暴な言い方をすると、前原氏や玉木氏は自民党に入党した方が良いと思う。もちろん、それが困難なことは言うまでもない。
ならば、我が国の政治のバランスをとるための野党は、新しい党が担うに違いない。新しい党は、まだ出現していないが、そのうち出てくる可能性が高い。なぜなら、盤石に見える与党、自民党も足元から腐ってきているように見受けられるからだ。早くしないと…。世界の流れが変わりそうな気配がある。実際は、何が起こるかなどわかる訳はないのだが、だからこそ怖い。あくまで私の考えだが、リーダーは最悪の状況を想定しなければならないと思う。ゆえに我が国の首相も最悪の状況を想定し、それを回避して欲しい。
年老いてから国の混乱を目の当たりにするのはごめんだ。これからは、日本も40代から50代の政治家がもっと活躍するようにならなければダメだ。また、そのようなことが可能な国にシステム自体を変えていかなければ。かくいう私は、安部総理支持者である。是非とも安部総理に、若い政治家の育成とその(仕組み)システム作りをお願いしたい。もちろん、経験豊富な年配者の扱いも大切にするのは当然のことだ。しかし、現在のような縦の序列が強固なシステムは、機能的ではないと思う。これ以上は語らないが、必ず良い方法があると、私は信じている。
【青嵐の志〜民進党代表戦を見て】
民進党の代表戦をTVで見ている。
こんな事をしている場合ではないが、思わず見ている。
投票に先立ち、先ず蓮舫氏が演説をした。私は蓮舫氏が嫌いではない。物怖じしないスタイルが気持ち良いからだろうか?私自身にもよく分からない・・・。彼女のテーマは、平和と安心であろう。しかし、その学芸会的な説法スタイルがどうも引っかかる。
一方の前原氏は、自身が代表を努めていた時の失策の反省を前面に出している。そして、その失敗があるからこそ、それを活かし、民進党の再生に尽力したいと、訴えている。その考えには、一定の理解と賛意をもてる。しかし、選挙前の演説で前原氏は、「オール(ALL)フォア(FOR)オール(ALL)」という造語を訴えていた。正直言って、簡単そうで、結構難しい言葉だ。さらに言えば、個を埋没させる、悪しき全体主義へと繋がって行かないだろうかとの思いが、湧いた。勿論、前原氏の言葉は、全体主義を意識しての言葉ではないと思う。ゆえに私は、ここでその言葉を全否定はしない。ただ、リーダーは、その言葉の意味、哲学を、より多くの人に共有してもらわなければならない。それは言葉だけの問題ではないかもしれない。その点に関して、リーダーとして、前原氏には何かが足りない気がする。私は今回、前原氏に期待していたが、今一歩の感が否めない。万を持して選んだ言葉だとは思うが、その言葉が駄目だと思う。
最後に玉木氏が演説をした。玉木氏は若手で党内の支持者も少ないようだが、私には新鮮に思えた。その演説の仕方は、民進党の全体的カラーである、生徒会的な感じを拭えない。しかしながら、玉木氏の弁舌のさわやかさとその内容は、浪花節的ながら共感できるものだった。
政治のリーダーの演説は、もっと具体的でなければならないとは思うが、時には、青年の主張的でも良いのではないかとも思う。
確かに、世間の多くが感じるように、民進党は生徒会的のりに見える。しかし、私はそれで良いと思った。ずる賢い人間がたむろする政党より、いつまでも若々しく、青嵐のような志をもち続けながら、卓越した実務能力を構築かつ駆使できる政策集団。そんな政党になって欲しい。勿論、民進党だけに言いたいのではない。いつかそんな政党が現れて欲しいと思っている。
私だったら、たまき雄一郎氏を応援するが、これまでの実績と人気?で蓮舫氏が当選するだろう。
追伸
生徒会的のりとは、随分酷い言い方をしたと、反省している。
本当は、もっと辛辣な事を感じているが、ブログに書くのはよそう。このブログは、読者登録していただいた、特定の人だけに閲覧可としたい。