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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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赤ひげ〜都知事選を見て思う

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「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法など無い。医術などといっても情けないものだ。医者にはその症状と経過は分かるし、生命力の強い固体には多少の助力をすることができる。だが、それだけのことだ。」
「現在我々にできることは貧困と無知に対する戦いだ。それによって、医術の不足を補うしかない。貧困と無知さえ何とかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ。」
「病気の影には人間の恐ろしい不幸が隠れている。」(映画、赤ひげより)


私は黒沢映画の大ファンだ。前記したのは、映画「赤ひげ』で主人公の医者(赤ひげ)が語る台詞である。私が「赤ひげ」を初めて見たとき、このセリフに痺れた。また、心も病んでいると思われる「おとよ」という少女に薬を飲ませるシーン。三船敏郎演じる赤ひげが、おとよに薬を飲ませ、「いい子だ」と一言いうシーンにも、私は痺れた。また、この映画の殺陣(柔術による格闘シーン)が斬新である。
さらに言えば、この映画の原作となった山本周五郎の小説が私は好きだ。思い起こせば、私が20代後半の頃、100人組手という荒行で身体を壊し、半年程、闘病生活を余儀なくされた時のこと。その時、今だと言わんばかりに、歴史小説を読んだ。私は司馬遼太郎も好きだが、山本周五郎の方が肌にあった。特に「長い坂」は、リーダーに是非一読して欲しい作品だ。

そして私は今、赤ひげのシーンを思い出している。赤ひげは、医術の分と役割をわきまえ、かつ世の中の問題の本質を「貧困と無知」だと喝破した。

私は貧困と無知の問題を改善するために、教育者はもちろんのこと、マス・メディアに関わる人達と経済人人にもっと頑張って欲しいと思っている(人間性の悪い経済人ならお前が頑張れと言い返すであろうが…)。また私は、赤ひげがいう医術を政治に置き換えてみた。すると、様々な社会問題に対し、より善い対策を考え、助力する。それが政治家ではないかと思えてきた。もし、それが妥当ならば、政治家の理想は、医者同様、深い人間洞察と仁愛の感性があることだと思う。しかし、そんな政治家は少ない(赤ひげは、無知と貧困に対して政治は何もしていないと喝破していたが…)。

さて、私が今、なぜ赤ひげを思い出したか?それは、都知事選を見ていて、暗澹たる気持ちになったからだろう。要するに、今回の都知事選後も、都政が良くなる事はなく、また似たような事態にになるような気がしてならないのだ。今まさに選挙戦の最中の方々には申し訳ないとは思うが、そのように、私は感じている。

ここで断っておきたい。私が政治について語るのは止めようと言いながら、こうも政治に関して冗長になるのはなぜか?その理由は、私の空手家人生の中心となっているのが、制度改革(システム改革)に他ならないからだ。私は、若い頃の挫折と極真空手での苦難に懊悩(おうのう)する中、ある思いが芽生えている。それは、システムを考え、それを創り変えるという事だ。ここでいうシステムとは、構造、制度、仕組みと言い換えても良い。大きくみれば、国家、家族、会社、業界等もシステムだ。また小さくみれば、人間もシステムであろう。


ゆえに私の仕事は、大げさに聞こえるかもしれないが、死ぬまでに空手武道による人間教育システムを創り上げる事だと言ってもよい。分不相応な夢を持つのは私の性癖だ。正直言えば、実現できるかどうかはギリギリの状態だと思っている。しかし、這うような感じで勉強とその準備を進めている。これまで、みんなに助けられてきたが、少しの油断も出来ないというような状態だ。そんな生き方をしてきているからこそ、この世の中の問題の本質がよく見えるのだ(よく見えるなど不遜だが)。

話を都知事選に戻せば、おそらく有権者には3名程の人間しか目に入らないだろう。正直言えば、どの候補者も今ひとつだ。もちろん、3人の中でより良い人はいるかもしれない。しかし、誰がなっても、都知事選後の混乱と落胆が明らかだ。

先日、私の良き理解者である荻野氏と電話で話をしたら、「上杉隆氏」はどうかという。

「上杉隆??」「なんか暗い感じのジャーナリストでしょ」と私は軽く答えたが、調べてみると、これが中々良さそうな人物だ。公約も良い。これで私の中に、上杉隆の名前が、インプットされた。しかし、当選はしないだろう。メデイアも取り上げないし、知名度が低過ぎる。

そもそも私は、東京都のみならず、国政に関しても、より本質的な事は、制度改革が必要だと考えている。その本丸は、選挙制度である。大雑把に言えば、政治家を選ぶ制度のみならず、政治家になるための制度と政治家に仕事をさせる制度の見直しも必要だと思う。それなりの選挙制度は確立されているとの反論が出ると思うが、私の見方では不十分だ。今回の都知事選も、知事を選出する制度に問題があると思っている。その辺を、マス・メディアや有権者に考えてもらいたい。何か、良い方法があるはずだ。

そのように考えていたら、自民党の河野太郎氏がSNSで良い提案をされていた。私は河野氏の提案は良い考えだと思っている。すぐに実現すべき提案だ。

最後にマス・メディアに対して、大衆が無知だと、おごるなと云いたい。無知を啓蒙するのがマス・メディアの仕事ではないか。しかし、そもそもマス・メデァアに読み手を啓蒙するほどの見識があるのか。私は疑っている(一方、メディアの方からは、啓蒙などというような傲慢な気持ちはございません、と嫌味な返答があるかもしれない)。ゆえに情報の受け取りに際しては、充分に吟味した方が良いだろう。また本当の問題点は、修羅場を経験し、真に考え抜いた人間にしかわからない事なのかもしれない。そして民主主義では、本当(真の問題点)の解決策が選ばれるのではなく、合意できる程度の事が選ばれる。否、本当の事は、志を高くもち続け、変革を続けた中で、見えてくると事柄だと思う。ゆえに、教育の理想とは、志を高める事だと、教育者は考えてほしい。

蛇足ながら、私がドラッグストアで買い物をしていたときの事である。私はレジの順番待ちをしていた。そこへ30歳〜40歳代の女性が、順番を抜かし、レジに向かった。私の前の60歳前半ぐらいの紳士が、「並んでいますよ」と優しく伝えた。その女性は見るからに不機嫌そうな顔をして、「そんなの、解らないわよ」とぶつぶついいながら、後ろへ回った。私は、女性の態度を酷いと思った。また、その紳士に申し訳なく思った。なぜなら、馬鹿な女性の相手を自分は放棄したのではないかと思いが芽生えたからだ。本来なら、私にも、その役回りをする必要があったかもしれない。先日、社会的弱者を子供や女性等とレッテルを貼ったが、それでは、購読者や視聴者を増やしたいメディアと同じである。弱者や女性などと一言で括らず、包括的、全体的な視点で、社会システムを考える視点と感性が必要だと思う。

2016/7/17 一部修正(誤字、脱字等を修正)








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