道場生から写真が届いた。私の誕生日の御祝いをしてくれたらしい。みんなありがとう。さて、本日は岡山へ向かう新幹線の中、ホテルで末期の癌について考えてみた。
【癌を考える】
昨日、俳優の今井さんの訃報をTVで見た。54歳という年齢は、私とほとんど変わらない。
長年にわたり継続されてきたライフワーク的公演の準備中に病状が悪化したようだ。また、今井さんは本当の病状を最後の最後まで周りには知らせず、頑張ったように見える。亡くなる直前の映像からは、その無念さが痛々しいほど伝わってきた。また驚異的な責任感があればこその映像だとも思った。さらに末期の癌に対する今井さんは、最後の最後まで自分の責任を全うしつつ役者としても人間としても見事に散っていったように見える。
同時に、私や私の身内が、もし今井さん同様の状況だったらどのようにしただろうかと、考えざるをえない。
実は私の母も十数年前に癌で亡くなった。末期の癌およびその抗がん剤治療は、想像を絶するぐらい辛く、大変なものらしい。私の母も大変に苦しんで息絶えた。亡くなったのは、ちょうど極真会の分裂騒ぎの真っ只中だった。亡くなる直前は、運良くベットのそばにいることができた。しかし、私は母の闘病の姿をあまり見ていない。なぜなら、私は母と遠く離れた東京で生活していたからだ。私は母の看病を妹に任せていた。そのことにとても悔悟の念がある。人間として大事なことを忘れているんじゃないかと…。
母が癌で亡くなる前のことである。金沢に住む母は、東京に住む私に電話をかけてきた。
「お母さんはもう死ぬかもしれない…」「アキラ、助けて、助けて…」と受話器の向こうで泣いていた。母は99パーセント死ぬとわかっていたのに、生きている今にすがっていたのだと思う。また、息子の声を聞きたかったのだと思う。私は母に「大丈夫だよ、近いうちに会いに行くよ」「頑張って」と電話口で言うのが精いっぱいだった。
今でもその光景を忘れないが、仕事一筋で不器用な私の母は、夜遅く仕事を終えると、私とよく話をした。内容はよく覚えていない。母は私の話に合わせていたと思うので、人生論的なものだったと思う。私の父はそんな話を好まない。母もそんな話が好きだったかどうかはわからないが、よく話をした。祖母も私と話をしたがった。私はいつも調子に乗り話し込んだ。
母とはそんな感じの関係だったが、私は思春期の頃、父母に大変苦労をさせた。しかし、空手に全てを賭けて練習する私の姿を見て、母は安心し、同時に私との信頼感、そして母親としての自信を取り戻していったのだと思う(極真空手に感謝…)。
私には、「もっと母に会いに行って励ましたかった」「いつも近くにいたかった」という思いが強くある。やはり、家族とは近くにいるべきだとも思っている。
それ以来、私は亡くなる人を知るたびに亡き母のことを思い出す。
同時に、「なぜ、もっと会いにいけなかったのだろう」「なぜ、元気づけることが出来なかったのだろう」と愚かにも悔悟の念が湧いてくる。同時に、自分の不甲斐なさに苛立つ。あれから、早くも数十年の歳月が経った。光陰矢の如し、本当に月日のたつのは早い。後悔ばかりの数十年のだった。もちろん、その時その時で精一杯やったつもりだが、もっと深く考え、行動することができればと思っている。今回の今井さんの訃報を聞き、私は思った。これからは考えや行動を改めたい。また、後悔しない生き方をしたい(もっと変人になるかもしれないが…)。
さて、末期の癌への対応の仕方だが、延命をはかる医療ではなく、例え生きる時間が減るとしても、痛みや苦しみから自分を解放させる医療があるように思う。実際、そのような医療の話を聞いた。私は、そのような医療の本質を、「 人間として優しい気持ちで死なせること」と考えている。もちろん、治癒する可能性が高い場合は、そのような医療を試みることはいうまでもない。私が考えているのは、明らかに末期の場合だ。
私は、我々人間は、死というものに対して無力だと思っている。つまり、正確な予測が不可能でかつ制御不能であるということである。しかし、もし死という状況がある程度、予測できるのならば、私はこう考える。「なるべく優しい気持ちで死なせてあげること」また、「なるべく優しい気持ちで死ぬこと」が、人間とその社会の理想にかなっていると。ただし、その人がやれることは全てやっての上だ。勿論、やれること、やったことには個体差があるだろう。しかし、それは許容しようではないか。その個体差による神からの享受は、人間である間に得ているはずだから(良いことも悪いことも関係なく)。
私は今、自分のやれることを絞り込みたい。そうすることで、短い時間を有効に使える。また、有限な才能(乏しい才能)や時間が、思いを絞り込むことで、ある意味、無限にひらかれるのではないかと考えている。 また、それが人生の自由自在の扉を開けると思うのである
最後に、そのように考えていくと、死に方で辛いのは、受け入れる間もなく、強制的、暴力的な 力によって死を迎えることだろう。 言い換えれば、生命の自由を暴力的に奪わることだ。
癌で死ぬということは、そのような死なのだろうか?それとも…。
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癌を考える
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