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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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日誌〜試合の意味とはなんだろう〜体験という価値

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日誌~試合の意味とはなんだろう

5月3日、連休の最中、交流試合が無事に終了した。運営のサポートをしてくれた道場生に心からの謝意を示したい。また、私流の謝意の表し方は、空手を人と社会により役立つものにすることと、したい。

さて、私は空手の試合や競技を、「人間的交流の手段」「新しい技を創造するための情報を得る手段」「自他の身体を一体化するためのセンサーや回路をつくる手段」などと、考えている。

しかし、競技を行えば、そこに勝者と敗者がつくられる。人間的交流や技の創造を傍に置き、勝つことに囚われる姿がそこにあっても不思議なことではない。そこが私の心を砕くところだ。

今回の試合でも、試合に勝った道場生もいれば、負けた道場生もいる。
私は、「試合に参加して良かったと思ってもらうためには、どうしたら良いか」と考えながら、会場を後にした。


私は今、負けた道場生にどのようなフォローアップをすれば良いかと、考えながら日誌を書いている。

【どうしたら、試合を前向きに捉えられるか?】
試合を行った人を眺めると、「前回は負けたけど、今回は勝った人①」「前回は勝ったけど、今回は負けた人②」「前回も今回も負けた人③」「前回も今回も勝った人④」などが見られた。
問題は③の人だ。私は気持ちが萎えないかと心配だ。私はこれまで、試合に勝てなくて、空手に対する意欲をなくす人を何人か見てきた。
そんな時、「試合だけが空手の目的ではない」「試合に勝つ事だけが空手の目的ではない」などというのは容易い。

私は、「どうしたら、試合を前向きに捉えられるか?」ということが大事だと思っている。例えば、「試合は負けたが、ここを直せば勝てたかもしれない」というように。しかし、そのような思考型にも限界がある。なぜなら、試合に勝つという事に価値を見出しているという、前提条件が必要だからだ(その前提が無くなれば、価値は無くなる…?)。

【試合の意味とはなんだろう?~体験という価値】
一体、試合の意味とはなんだろう。
一人ひとりに価値観があり、意味の違いがあるのは言うまでもない。その辺について、今回は多くを記さない。あえて、「そもそも意味とは創られていく」と一言、添えておきたい。
ここで私が言いたいのは、試合に勝てなくても、試合を体験するだけで、十分な価値と意味の可能性を包含しているということだ。

ただし、「どのくらい(何回?)体験するか」「どのようなタイミングで体験するか」「どのような心構えで体験するか」という事が重要だと思う。その上で、つまるところ、「体験」ということが最も重要な価値ではないかと言いたいのだ。

言い換えれば、身体全体で感じることが空手の試合であり、そこに意味が生まれ、同時に価値があると、私は考えている。

【息子の試合を見て以来】
少し脱線すれば、その昔、我が息子に空手を習わせた。期間は2年間ほどだった。その間、彼は1回だけ試合を経験した。

息子の試合結果は、1回戦負けであった。しかしながら、私は息子の戦う姿を遠くに見ながら感動していた。彼には、攻撃力はなかった。しかし、防御を固め、懸命に相手に対応していた。真剣さが伝わってきた。おそらく、緊張もしただろうし、怖さもあっただろう。また、相手の攻撃が痛かったかもしれない。

そんな経験を1回でもしたという事が、彼にとって貴重な体験になっているはずだ。私は試合後、息子を褒めた。「試合は負けたが、防御をしっかり固め、前に出ていた」「懸命に攻めていて、逃げていなかった」と。

私は「今後、攻撃技を覚えて、攻撃力をアップすれば、次は勝てる」と付け加えた。その後、学業の方が忙しくなり、道場に通えなくなった。

現実は、強い相手と戦えば、勝つ事は困難だ。しかし、身体全体で緊張や痛さなどを体感する事には、科学的な効用が見込めると思っている(脳科学などの領域?)。もちろん適度に行えばの話だが。ゆえに、私は息子に空手を続けて欲しかった。

【そこから身体を考えていく】
話を戻せば、私は息子の試合を見て以来、「試合をいかに体験してもらうか」また「空手をいかにして続けてもらうか」が重要なテーマになっている。

しかしながら、試合に勝つ事だけに意味を見出すようなあり方ではない。空手を通じた、様々な体験の中に貴重な意味を見出す事である。つまり、身体全体を使う事、身体で感じる事に貴重な意味を見出す事である。さらに、そこから身体を考えていくのである。言い換えれば、体験を掘り下げ、自分を再構築(創造)していく事だ。

【勝った体験よりも負けた体験からの方が、新しい発見がある】
最後に、私は、「勝った体験よりも負けた体験からの方が、新しい発見がある?」という事を伝えたい。その新しい発見は、正しく活かせば、自分を磨き、生きる力になるはずだと考えている。

これ以上は具体的には述べないが、また、負けた事を安易に考えず、しっかり掘り下げていくことだ。また、勝った事を安易に理解しない方が善い。

私は、性急に答えを求める性格だが、物事は、すぐに答えを出さない方が善いと思っている(もちろん、瞬時の判断は重要だが、次元が異なる)。できれば、時間をかけて問い続けていくことが良いと思う。そうすれば、負けたことや失敗の体験が、自分の良さを引き出してくれるのではないかと考えている。さらには、正しく自他と向き合えば、負けない。そして、勝てると思っている。

2015-5-7:一部加筆修正



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