【新しい武道スポーツを世界に~】
有史以来、人類は敵と徒手で交戦するための様々な格闘技を考案してきました。それら格闘技には、時代と共に社会的存在価値の変遷が見られます。
我が国における徒手格闘技の場合、実際の交戦のためというものから、人間教育的なものへと、価値の変遷を見せています。さらには、見世物・エンターテインメントへの転換も見られます。また、現代においては、古典武術の継承というような価値も見られます。
【徒手格闘技の新しい枠組み】
私が構想する新しい武道スポーツとは、徒手格闘技の新しい枠組みです。また、徒手格闘技の社会的価値をさらに高めようという試みです。
それは、決して既存の価値を否定するものではありません。むしろ、先述した様々な価値を高め、さらに包摂・融合するための枠組みでもあります。
もう少し具体的に言えば、新しい枠組みは、基盤となる3つの異なる枠組みと繋がるようイメージしています。
ここでいう3つの枠組みの一つは、専門性に重きをおく武術という枠組みです。もう一つは、人間教育に重きをおく、武道という枠組みです。最後の一つは、精神の解放に重きをおく、スポーツという枠組みのことを指します。
また見方を少し変えれば、武術とは芸術・芸能的あり方です。武道とは、精神鍛錬的あり方です。スポーツとは、精神解放・浄化的あり方とも言えます。
それら3つの枠組みとあり方を基盤とし、かつそれらをつなぐ新たな枠組みとあり方が新しい武道スポーツなのです。言い換えれば、新しい武道スポーツとは、武術と武道とスポーツを繋ぎ、融合するものと言っても良いでしょう。
【新しい武道スポーツが見据えるもの】
新しい武道スポーツが見据えるものは、徒手格闘競技の中から、人類普遍の高い精神性を醸成するというゴールです。
その理念は、「精神鍛錬と精神浄化」「闘争心と知恵」「体育と芸術」という2種の補完しあうキーワードで言い表すことができます。
そのルールとは、それら2つの補完しあうキーワードを車輪のように繋ぐ車軸のようなものです。
【ルールの核となる概念】
そのルールの核となる概念は、「相手の戦闘力を奪う技術を競い合う」ということです。
その概念をもとに、数多い戦闘技術(格闘技)の中から、相手の戦闘力を奪う、3種の戦闘技術を選びました。それ以上多くなると、複雑になり過ぎ、愛好者を増やすことが困難となると考えたのです。
具体的には、「手足を使い打突すること」「相手のバランスを奪い倒すこと」「相手を突き飛ばすこと(場外へ押し出すこと)」です。
さらにその競技をやらない人にも勝敗が一目でわかるよう、戦闘技術の効果を数値化して示すことにしました。
また当然の事ながら、安全性の確保のために反則行為を設定しました。
反則行為を設定するのは、過激な徒手格闘術の試し合いにおける、傷害を最小に抑えるためです。そして試合を反復可能とするためです。
競技の判定材料の数値化や競技の安全性を確保し反復可能とするのは、より多くの競技データを取り、それを検証できるようにするためです。
また、競技の反復と検証により、高度な技術や戦術が生まれる可能性が拡がります。
そうなれば、競技者のみならず観客にも、より共感してもらえるようになり、斯界が発展するはずです。
【初めは…】
最後になりますが、新しい武道スポーツに、初めて接する人には、打撃技と組技の2つを使いこなすことが、とても困難なことと感じるかもしれません。
しかし、「案ずるより産むが易し」。少しずつでも良いですから、やって見れば良いのです。
誤解を恐れずに言えば、初めは「擬似取っ組み合い」のようなつもりで体験するぐらいで良いのです。技術レベルの低さを否定してはいけません。どんな武術も初めは不恰好なものです。格好良いものに囚われてはいけません。そんなものは偽物であることの方が多いものです。
冷静に自分の技や戦術を検証し、次の挑戦に備えるのです。新しい武道スポーツは、そのような知的作業に必ず、相応の結果をもたらしてくれるはずです。
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新しい武道スポーツをデザインする2015版
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