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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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護身とは何か?

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本日、黒帯対象の講習会を実施した。
相変わらずの遣っ付け仕事で、自分が嫌になる。
しかしながら、僅かながら前進がある。また私は、どんな状況でも、自己のやれることの最善を尽くしているという自負がある。誰もその姿を見ていなくても・・・(只、私は大雑把な性格のようだ)。

実は、久しぶりのブログの更新である。その理由は、8月の自然災害の被害に遭われた方々のことを思い、自粛していたのだ。また、体調が良くないのと、2週間前に歩けなくなった。

歩けないとは、膝に水がたまり、腫れ、真っ直ぐ伸びなくなったということである。どうも古傷の左脚の半月板の損傷が過労によりひどくなったようだ。
それ以来、膝を冷やし続けている。本日は、強力に膝を固定するサポーターを使用し、なんとか指導をした。膝の具合は少しずつ良くなって来ていると思っている。

以前私は、右膝の手術をしたことがある。今回と同じ、半月板の手術だ。しかし、もう手術はしたくない。なぜなら、術後、1ヶ月以上、膝が曲がらなかった。
もし、手術をするようなら、3~5日程の入院と稽古指導が大変になる。
また、9月は身体の他の部分の検査もある。これまで数多くの失敗や障壁を乗り越えて来た私だが・・・。少々きつい。今は良くなることを信じたい。

さて、今回の講習会のテーマは、護身技ということだった。師範代の秋吉と相談し、そのように決めたのだが、先述のような状況なので、準備が思う様にできなかった。拙著「フリースタイルカラテ」の執筆の際、泊まりがけで研究に付き合ってくれた、道場生の福岡氏の協力のお陰で、僅かながらの前進ができたと思っている。彼は、弟の様にかわいい(笑い)。

私が考えている新しい修練体系、武道に関しては、発表の機会を待ちたいが、
今回、遣っ付け仕事だったが、護身について考えを纏めるために書いた、メモを掲載したい(今後、細部を含め再考し、文字に落としたい)。

【護身とは何か?】増田メモ

護身とは何かを考えてみる。護身とは、徒手による暴力から自己の心身を守ること。言い換えれば、暴力による自己の心身の危機を回避することと言っても良いと思う。

正直にいえば、「護身術」という、曖昧で抽象的な表現を理解できない自分がいる。しかし、暴力による危機に遭遇した場合の対応について、少しだけ考えてみることは無駄ではあるまい。

もし、暴力による危機に遭遇したら・・・。

対応の仕方はいくつかあると思われる。ひとつ目は、「話し合いで和解する-①」2つ目は、「相手を制圧する-②」。3つ目は、「相手の隙を見つけ逃げる-③」である。

先述の中では、①が望ましいが、その場合、背景に相手と交渉するための何らかの力(武力も含む)がなければ、困難だと私は思う。2つ目の「相手を制圧する」とは、相当な徒手格闘の訓練が必要となる。おそらく一般の人は、護身術と制圧の違いを理解していないに違いない(もしかするとカラテ家も)。

具体的に言えば、護身術と制圧術とは分けて考えなければならない。
私がいう「制圧」とは、「自他の被害を最小に抑えて、相手の戦闘力を奪うこと」である。一方、護身術とは、「自己に向けられる暴力を弱体化すること」である。
「弱体化」という言葉を使用したのには理由がある。それは、暴力を完全に封じるには、「一時的な弱体化」だけでは、不充分だという意味を含んでいるのだ。
言い換えれば、暴力の無力化(?)が制圧だと言うことだ(但し、私の言う制圧は「捕り」なので、他を殲滅的に痛めつける手段は用いない)。
つまり、護身術の効用を大きく見積もってはいけないと言っても良い。

私の考えでは、護身術というものは、3つ目の「相手の隙を見つけ逃げる」レベルのことを指すものだと考えている。決して、制圧のレベルと同じに考えてはいけない。

具体的には、「防御技を駆使し、相手の弱点を見つけそこを攻め崩す」ことである。そして、「相手を崩し、逃げる機会を作ること」ともいえる。

補足を加えれば、私は普段、護身術と言わず、護身技という用語を用いる。

草創期の極真空手(大山道場空手)は、護身術を前提とした修練が中心だったと聞くが、そのような修練は現在、消滅したと言っても過言ではない状況である。

勿論、極真空手と言っても、道場によって修練方法は異なる。しかし、おそらく、多くが形骸化、体操化した伝統基本や型の修練と、武術の本質から逸脱した、組手法との修練に終始していると思う(これまでの私の道場もそうだ。誤解を恐れずに言えば・・・)。但し、それは全否定されるものではない。また、効用も充分にある。

しかしながら、私が新しく創る、空手武道の修練システム(OS)には、極真空手の基本を活かしながらも、その基本を応用し発展させる機能を持たせたいと考えている。

その修練システムの中で、「護身技」は重要な役割を果たす。また、極真空手の基本の応用を可能とするために必要な概念のひとつである。

さらには、新しい修練システムは、古今東西の多様な格闘技術の良点を取り込んでいける。また、極真空手の基本を真に使えるものとするためのオペレーティング・システム(OS)となるだろうう。

繰り返すようだが、護身技とは、相手とその攻撃を崩す技である。だからこそ、護身技(=崩し技)は、「制圧法」の中で重要な役割を持つ。


以上、メモ書きはこの辺で終わりたい。



最後に、これからの数ヶ月は正念場だと考えている。なんとか、私の武術理論及び武道論、武道修練システムを完成させたい。
時間とは、あると言えばあるが、ないと言えばない。私にとっては、そんなことはどうでも良いのだ。生きているうちに、身体が動くうちに、どうしても創りあげたいものがあるのだ。生み出したいものがあるのだ。それを、お前の欲だと揶揄したければするが良いと考えている。

私は、なんと思われようとも、いつも百尺竿頭に一歩を進めるがごとく、生きていくだけだ。


追伸

今回の講習会は、極真空手の稽古と分けて採用、実施することが前提の新しい修練システム(拓真道流・空手武道)のデモンストレーションのようなものだ。

よって、稽古内容は広く浅く、なるべく体系を説明、体験してもらえるように務めた(それでも時間の関係で半分ぐらいしかできなかった)。今後、具体的なインフォメーションをしていきたい。
(少々被害妄想気味の私は、顔の表情の変化やリアクションに乏しい道場生の反応を、いつも気にかけている。正直に言うと、もう伝えるのは止めようといつも考えている(笑い)。因に私の家族に対する愛情表現は、ストレートでオーバーだ。家族はうるさいと言うが・・・)

最後に、「どの稽古が一番、興味があったか?」と尋ねた。
一番、多かった回答が「頭部打撃の練習」と「小刀(ナイフ)捕り」だった。
その中で、「半棒術」と「腕回し(制圧法の稽古の中の基本原理)」という回答があった。

前者は、一般的な回答だと思う。一方、後者の「腕回し」に興味を持った者は、おそらく術理的なことに興味を持ったがゆえだと、直観している(その者は、術理という言葉を知らないと思うが)。

因に、私が拓真道流空手武道に込めた魂は、「理合(道理)の探求」「普遍性の探求」である。
それを「知的好奇心」と言い換えても良いだろう。
また、半棒術(杖術、ステッキ術を含む)は私が個人的に最も好きな修練となると思う。
実は、脚が動かない間、棒を諸手と片手で振っていた(操法の基本と型を研究していた)。すると、ここ数年の50肩の症状が改善されて来た。肩の変形も改善された様に思う。また、身体が動かせず、身体のラインがかなり緩むと想定されたのだが(加齢もあり)、それほど緩んでこない。
棒振りを懸命に行なっていたからだと思っている。正しい振り方をすると、体幹も使っているようだ(腹筋、背筋を瞬間的に締めているのだと思うが・・・)。

私は武器術については、僅かの知識しかない。しかし、ここ数週間、脚が動かないことで、以前から研究をしたいと思っていた、武器術について考えていた。
私は、武器について知識を深めることは、理合の探求、普遍性の探求に少なからず貢献すると考えている。ただし、道場の稽古では多数派の要望に応えることを優先するが・・・。





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