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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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どうしたら上手になる?

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どうしたら上手になる?

今月から毎週土曜日の午前中、特別稽古を実施する。場所は多摩本部道場だ。

稽古の内容や対象は、月毎に決める予定だ。今月の対象は、上級審査を控えた道場生である。内容は、昇級審査項目にある、伝統型や移動稽古、組手型や打ち込みの補習だ。

初回は15名程の参加者があった。多摩本部道場は環境こそ良いが、東京の郊外である。遠路、朝早く稽古に合流した参加者には、頭が下がると同時に、責任感が湧いてきた。

稽古の始めに、
「道場(我々の)の目標は、皆さんに黒帯になってもらうことです」
「しかし、本道場の黒帯は空手の技が上手いだけでは駄目です」
「本道場の黒帯は、自分のことのみならず、下のものや周りの人の世話ができることが必要です」
「皆さんは自分のことで精一杯だと言われるかもしれませんが、上級者になれば、周りの人に少しでも貢献するんだ、という気持ちを持ってください」
「そのような人が黒帯になる人です」
私は、以上のように、なるべく少年部にも解るよう、道場の方針を伝えた。


脱線するが、話は、5分以上話してはいけない。できれば、3分以内。私が長年の失敗の中で心掛けていることだ。まだまだ、徹底されていないが、少しずつ改善されて来たと思う。本当は言いたいことが山ほどある。伝えたいことが山ほどある。しかし、その気持ちを抑え、要約して話すのだ。私には大変なことだ。実はこのブログは、考えを掘り下げ、長い話を頭の中でまとめる作業の一環だ。

頭の中で考え、それを文字に落とす。さらにその中から、本質的なことを見つけだす。その見つけだした事柄を理論とシステムに落とす。そのような作業が、私の毎日であると言っても過言ではない。現在はそこに、現場での実験作業が加わっている。大変忙しくなってはいるが、この作業を乗り越え、本物に近づいていくと考えている。

話しを戻せば、今回、熱心で真面目な道場生を相手に秋吉(師範代)と共に稽古指導を行なった。誤解を恐れずに言えば、とても充実した時間だった。

みんな、少しずつではあるが、上達した。


稽古の最後、私は、以下のような質問を道場生に投げかけた。
「空手の上手に(本当の)なるには、どういうことが大事ですか?(質問は、空手が上手になるには・・・と問いかけたが、意味は空手の上手である)」

あえて断っておくが、私の道場では、空手の技を人と比較し、上手いと言っているのではない。勿論、人と比較しなければ、学びもないと思う。しかしながら、私が重視しているのは、より自分の技のレベルをあげることである(伝え方がなかなか難しい・・・)。
平たく言えば、「昨日の自分より、今の自分が、より上手になっているか」「それを問え」と言っているのである。そのような目的意識がなければ、人間的成長もあり得ない。
また、本当の上手とは、目標、目的意識を持ち、自己の個性、良点を発揮する者のことである。また、自己を他者との関係性の中で最高に活かす者と言い換えてもよい。

少なくとも、空手修行を、個々の人生に役立つようにするためには、指導者側のみならず、やる側にも、明確な目的意識が必要だと思う。
勿論、多様な考え方があって良いだろう。しかし、世の中のすべての人を相手にできる訳ではない。

我々は、これまで不明瞭だった道場の意義・目的、我々の考える武道の目的を明確にしていくつもりだ。それが、私自身の責任を果たすための手だてだ。増田流ではあるが・・・。


さて、私の質問に対し、数人の少年部が手を挙げ、それぞれ意見を述べた。

「先生の話を聞くことです」(少年部)
「それは大事だね。○○はそれを心掛けてね」(増田)
「他に大事だと思うことはない?」(増田)
「努力することです」(少年部)
「それはとても大事なことです」(増田)
「では、どのように努力する?」(増田)
私が先述のように切り返したとき、一般部の人が手を挙げた。
「反復練習です」(壮年部)
「私も反復練習が大事だと思います」(増田)
「何百回、何千回と反復練習を繰り返すこと」(増田)
「それが、上手くなる秘訣です」(増田)
「しかし、ただ繰り返すだけではなく、上手くなろうとする意識がないと駄目です」(増田)

「皆さん、上手くなろうという気持ちを持って、これからも反復練習をすれば、必ず上手くなると思います」
「頑張ってください」
私は、そう締めくくり、稽古を終了した。


蛇足ながら、私の座右の書、世阿弥の「風姿花伝」から、「上手」についての見識をひとつ紹介したい。

「上手は下手の手本、下手は上手の手本なりと工夫すべし。下手のよき所を取りて、上手の物数に入るる事、無上至極の理なり。人のわろき所を見るだにも、我が手本なり。いわんや、よき所をや。「稽古は強蹴れ、常識はなかれ」とは、これなるべし。









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