「論語」に帰ろう
「論語に帰ろう」このタイトルは、著述家の守屋淳氏が2009年に上梓した書籍(新書)のタイトルである。
守屋氏と私は勉強会仲間である。中国古典のみならず、古今東西の兵法(戦略論)等を勉強する会で、守屋氏は、先生格である。「格」とつけたのは、口ごもった感じだが、それには理由がある。
会において守屋氏は、「先生と呼ばないでください、勉強会はみんなの意見を聞きたいので・・・」と謙虚な姿勢を貫いている(本当は私の中国古典の先生である)。
それが、論語の教えからきていることに、改めて気付いた。
私が『「論語」に帰ろう』というタイトルで書いているのには理由がある。
一言で言えば、私の道場、また空手修練の「ど真ん中」に、今後は、人間形成・人格形成の柱を据えようと考えているからである。
「これまで、そうではなかったの?」と思われる方もいると思う。なぜなら、私の道場の盟友である岡山・アスリナ(アスリート改め)道場の中川幸光師範は、2年前ぐらいから「徳育」を掲げ、論語の素読を中心とした、人格形成・人間形成の塾活動を行なっているからだ。
私は中川氏の考えを認めながらも、どうも形式ばった、人格形成や道徳教育を掲げることに、アレルギー反応があった。また、私の脳裏に「論語よみの論語知らず」という言葉が浮かんでいた。
しかしながら、ここ数年、様々なことを体験し考え直すことがあった。その中で、やはり私の仕事は、「カラテや道場を通じ、少しでも道場生の役に立つこと」だと再認識している。同時に、「これまで世話になった、先祖や社会に恩返しをすること」だと考えている。さらに、それが「自分を活かすこと」だと考えている。その底流には、「修身斉家治国平天下」(大学)という考えがある。
その辺りを、守屋氏は孔子の教えの根本を仁とし、「仁は愛の思想」と定義している。また、「修身治国平天下」を「身が修まると家庭がととのう」「家庭がととのうと国が治まる」「国が治まると天下が平和になる」と意訳している。さらに、それは愛(仁)を拡張する順番として、「自分→家族→国→天下」と細かく規定されているものだと解説を加えている。
守屋氏は、その辺りを「愛を押し拡げていく」という意味合いで孔子の教えを捉えているようだ。また、孔子の教えには、時間的な観点が含まれ、自分たちの世代のみならず、子々孫々の世代への観点が含まれているとする。
私もそう思う。確かに、我が国の多くの思想家に、そのような観点があると私は考える。私の知る限りではあるが・・・。
また 守屋氏は、宗教の意義を肯定しながら、孔子の教えと宗教を分ける部分として、あくまでも孔子の教えは、より良く生きるための実践に重きをおいたものだと喝破していた。
実は、私が「論語」を手にしたのは、中学生の頃だ。私の書棚には、昭和50年8月15日初版の講談社文庫の「論語(木村英一訳)」がある。
論語購入の経緯は僅かながら憶えている。自信はないが・・・。
おそらく、国語の授業で論語が取り上げられ、それに感銘を受けたからであろう。また、大山倍達先生の著書に、論語の引用があったからである。
中学生の頃、国語の授業で知った「論語」は、「師曰く、古きを温めて新しきを知らば、以て師たる可し(温故知新)」だと思う。さもなくば、「師曰く、吾十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩をこえず」だったように記憶する(定かではない)。
私が10代の頃に好きだった言葉は、「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」である。これもまた、定かではないが、大山倍達先生の著書に引用されていたと記憶する。
当時中学生の私は、「自分自身が本当に納得できる生き方ができれば、今すぐ死んでも構わない」と考えていたからである。裏を返せば、それほど悩んでいた。
そのストレスを解放させるために、いつも夢を描き、その実現に向けて努力した。その一つが極真空手である。勉強の時間もすべて空手に費やした(笑)。正直言えば、「時間配分を失敗した」と、後悔している(戦略の失敗である)。
それから、40年近くの歳月が流れたが、1勝99敗の戦歴、100戦錬磨(笑い)の増田が、孔子の境涯、教えに再び、支えられている。
補足を加えれば、現実の孔子は、どうも成功者ではなかったらしい。もちろん、名誉や経済力等の価値観で計れば、の話である。しかし、賢明な方なら気付くと思うが、そのような価値観だけが成功ではない。
私は今、本当に兄弟のような付き合いの中川幸光氏と守屋淳氏という盟友を得て、孔子の教えの影響にあらためて気付かされている。
おそらく、我々日本人には、孔子の教えがミーム化(文化的遺伝子)しているかもしれない(人の言葉を借りるのは好きではないが、ミームという言葉を借りた)。
また、孔子の教えの影響が未だに続いているように感じる。
それは、守屋氏との出会いを通じ、書棚にある数十冊以上の論語や四書五経に関する著作を再読し、感じたことだ。
補足すれば、儒学は武士道にも影響を与えている。ブログでは、これ以上書くことはしないが、主に近世(?~学会の定義は知らない)の武士道の底流には、儒学の影響が色濃く見える。
例えば、日本の古典兵法書の「常静子剣談」には、「孔子は剣術の達人」という章がある。
儒教・儒学については、様々な考えがあるとは思うが、今日の我が国の繁栄を築き上げた基盤には、江戸時代の人々の教育への情熱があると思う。周知のことだが、江戸時代、日本の至る所で、寺子屋や藩校等による青少年への道徳教育が行なわれていた(寺子屋は読み書き、算盤を教えたと聞くが、その中にも道徳教育の役割はあったと推測する)。
勿論、その江戸時代の社会制度にも短所はある。しかし、今なお続く日本人の良さ、強みは、孔子の教えを深く理解し、実践してきた歴史にあるのではないかと、私は考えている。
今後は、盟友の中川氏と共に、「論語と武道」というコンセプトで頑張ってみたいと思う。また、そのようなタイトルで書籍をまとめたいと考えている。「論語読みの論語知らず」の誹りを受ける覚悟で・・・。
さらに、私を可愛がってくれた祖父母、父母、師の恩に報い、将来世代(子孫の世代)に良いものを残すためにも、「仁」を中心に据えて、「論語に帰ろう」と考えている 。
〈補足〉
我々日本人は、江戸時代以降、そのような儒学の影響、孔子の教えの影響を色濃く受けているのは周知のところであろう。
私の考えでは、日本の教育の良い所は、それが官吏、武士等の権力層のみならず、商人や職人、農民まで、あらゆる層に共通の価値観が浸透していたことだ。それが我が国で道徳と認識されているものではないだろうか(それが段々と変質しつつある)。
もう一冊紹介したい書籍に、我が国の近代の経済界を牽引した、渋沢栄一氏の「論語と算盤」をお勧めしたい。私は、守屋氏の著作と一緒に一気に読んだ。
渋沢栄一翁は、拝金主義に傾きがちな財界人に対し、「道徳・徳育」の重要性を説いた。
守屋氏の著書にも、渋沢栄一翁の話が紹介されている。
兎に角、守屋氏の書籍の特徴は、学術的なことを平易に、かつ親しみ易く、書いていることだ。
新書、『「論語」に帰ろう』をお勧めしたい。
蛇足ながら、現在私は、武道理論書と武道哲学に関する著作を考えている。しかし、その執筆がはかどらない。本日は、執筆のための資料読み込みをした際、どうしても書き留めたかったので書いた。伝えたいことの中心は、祖先や国、先人への報恩を念頭におかなければということ。また、友人への感謝(中川幸光氏、守屋氏、その他多くの友人達)だ。さらには、将来世代への貢献を目標としていくということである。
これまで、失敗だらけの人生だが、おかげで様々な気づきを得ることができたと考えている。その経験を生かし、最期が来る前に、何としてでも山に籠り、武道哲学をしたためたい。
(朝、急いで書いたので、誤字等が多く見つかりました。ゆえに若干の修正をいたしました。8日の夕方)
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「論語」に帰ろう
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