命拾い??
助かった。
今朝、起きると左膝が痛い。
左ひざの半月板ロックし、左ひざが真っ直ぐ伸ばせない。
歩けない・・・。
私の右膝も同じような状況になったことがある。
その時、私はスペインへカラテ指導へ行く直前だった。歩けないので、私は焦って手術をした(その際は遠征をキャンセルし、関係者に迷惑をかけた)。
その後、歩けるようにはなったが、右ひざにすぐに水がたまる状況が現在も続いている。幸いにも、現役選手ではないので、運動量を調整しながら、身体を使っている。
しかし、私の考えでは、手術は失敗かもしれないと考えている。具体的に言えば、できる限り、身体にメスを入れないで直す方が良いと考えていると意味においてということである。勿論、外科的手術が必要な事もあるだろう(私の右膝はそのような状況だったかもしれない)。しかしその後、私の半月板の損傷とそれによる、膝のロッキングに関しては、アイシングと周辺の筋肉のバランス調整によって、改善されるのではないかと、経験的に考えていた。
今朝は、同様の状況に陥ったのだ。
断っておくが、私の膝は、カラテで損傷したのではない。右脚は、中学生の頃にサッカーをしていた時、脚をかけらたことによるもの。左脚は柔道の練習によるものである。半月板の損傷によるロッキングは、それ以来、中学生の頃からの付き合いになる。もう40年近くの付き合いになるだろう(蛇足ながら、カラテ競技は無理なハイキックをしなければ、怪我が少ないスポーツの上位に位置すると思う)。
以来私は、膝を庇うためにも、脚の筋力トレーニングを欠かしたことはない。つまり、私の専門の打撃技の威力を増すためのウエイト・トレーニングと言う意味合いのみならず、弱い(痛めた)膝を補うために、ウェイト・トレーニングを継続していたと言うことだ。
話を戻せば、今回は先ず、アイシングをした。そしてストレッチをして、周辺の筋肉を緩めようとした。そして、なるべく安静にしながら本を読み、メモを取っていた。実は今日は、1年程、保留していた著述の作業を行ないたいと、連休を楽しみにしていた。
ゆえに、最初は、「著述のための資料の整理と、調べものをするのにちょうど良い」ぐらいに考えていた。また、アイシングをして、ストレッチをしていれば、筋肉の状態が元に戻り、ロッキングが解除されると考えていた。
焦りはなかった。ところが、朝から昼を過ぎても直らない。歩くことができない。6時間が過ぎたところで、焦燥感が出て来た。「これは、また手術しなければ直らないのでは」と。
「まずい。これではカラテ指導ができなくなる」「半月板の手術は1週間、否、3日程で歩けるようになるが、カラテの練習ができるようになるには、個人差があるにせよ、1~2ヶ月はかかる」「まずい、今の私にはそんな余裕はない」等の思いが脳裏に浮かぶ。
段々、焦燥感が高まってきた。しかし、「今日1日は辛抱だ」と考え、読書とメモに集中していた。
喉が渇いたので、冷蔵庫を開けようと立ち上がったら、膝のロッキングが直っていた。
「真っ直ぐ立てる」「歩ける」・・・、「セーフ」「ああ、良かった」・・・。
私の左足は、伸びるようになった。
本当に「命を拾った」という気分になった。また、あらためて「身体が使えることの喜び」を噛み締めた。
実は、今進めている書籍の核心は、「身体を楽しむ」ということだ。
私は、カラテをそのようなことに役立たせようと考えている。そのために、様々な武道家の書籍や運動生理学、また物理学等々、あらゆるジャンルの先達の研究を参考にしている。同時に、これまでの自分の考え方を疑い、見直すことで、新しい視点や考え方を導き出そうとしている。そして幸運にも、新たな方向性が定まって来たところである。
現在、毎日が忙しい。実は、忙しいと言うのは恥ずかしいことであると、私は思っているのだが・・・。また、早く辞世の言葉を探さなければならないと考えている。自分の内側から・・・。そして本当の言葉を。
そのためにも身体を働かせ続けるつもりだ。同時に身体が悲鳴を上げないように、感謝をして、協力してもらいたいと考えている。
相変わらず、ハイテンションで大仰な考え方だが、実は毎日、真剣にそのように考えて生きている。だからこそ、毎日が尊いし、楽しいと思えるのだと考えている。
繰り返すが、あらためて身体が使えることをとてもうれしく感じる。
そして、身体が使えること、身体を使って楽しむことを仲間と共有できるようになりたいと念じている。
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命拾い??
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