岩井柔道塾60周年記念祝賀会
~「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」
【岩井柔道塾60周年記念祝賀会】
「昭和6年には全国警察柔道大会に警視庁から主将として出場し団体優勝した」「牛島辰熊の薫陶も受け、県警の柔道教師を勤めた」
私の柔道の師である岩井克良先生(2代目)の父でもある、石川県・岩井柔道塾の創設者(先代)、岩井良美師範の経歴の一部である。
先日、私は石川県・岩井柔道塾の創立60周年記念祝賀会に参加してきた。このパーティーは、岩井柔道塾の2代目の師範である、岩井克良先生の業績を讃える会でもある。
私は、中学生と高校生の一時期、岩井柔道塾に通い、2代目塾主、岩井克良先生の指導を受けた。この岩井柔道塾は、これまで石川県の柔道チャンピオンを始め、インターハイの優勝者や準優勝者を多く輩出している。最近ではオリンピック女子柔道の金メダリストも輩出した。
聞けば、一時期レスリングにも取り組み(柔道の寝技のため)、レスリングチャンピオン(ジュニア?)も輩出したこともあるそうだ。
本当を云えば、私などは岩井柔道塾の門下生を名乗れる者ではない。なぜなら、早々に柔道をあきらめ、塾を去った人間だからだ(しかし、柔道が好きだとという思いはずっと持ち続けていた)。しかし岩井先生は、そんな私を招待して下さった。
本当に有り難いことだ。実は招待状を頂いた時には涙が出そうになった。
発起人の代表は、私が柔道を始めた中学生の頃、左内股で何度も投げられた福島先輩だった。福島さんは私のことなど憶えていないだろうが、私は今でも投げられた記憶を忘れていない。その福島さんは、祝賀会の運営を任されていたようだ。当日は、額に汗しながら尽力されていた。
さて、私の岩井先生に対する思いは、拙著「吾、武人として生きる」に書いた。
岩井塾での私の柔道体験、そして岩井先生からの薫陶は、私に武道教師の姿、手本を身体に染み込ませている。
残念ながら私は、未だ岩井先生のような素晴らしい業績は残せていないし、岩井先生のような生き方もできていない。
今回、私は岩井先生のお言葉に甘えて、記念すべき祝賀会に参加させていただいたが、御陰で素晴らしい体験ができた。また大変感動をさせていただいた。
私の感動をキーワードで例えれば、「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」である。
先述のキーワードは、時々私の心に浮かぶテーマである。大雑把ではあるが、忘れない内に書き留めておきたい。
【柔道】
先ずは「柔道」についてだが、柔道は精力善用、自他共栄、すなわち人間教育の武道として素晴らしい。勿論、格闘技である柔道は、怪我の危険性も存在するが、その危険性を技の理論と型の確立、更には柔道理念により、昇華している。
その意味を簡単に述べる。確かに武術、格闘技の修練は危険を伴うが、加納治五郎師範は、その技術を簡単な物理学の理論(おもにテコの原理)を用い、力任せではない技術として説明している。それによって、柔道の修練に誰もが参加できるようになった。
異論はあるかもしれないが、ここでは細かいことを追及しない。あくまで柔道の大枠、骨組みを論じている。その意味で、柔道は本当に教育手段として卓越していると思う。
但し、更なる今後の発展については、斯界のリーダー達の自覚によるだろうが・・・。
【幼なじみ(仲間)】
次に「幼なじみ(仲間)」についてだが、祝賀会で私は、塾で汗を流し合った同級生の仲間と再会した。
数人ではあったが、みんな良い男達だったので、私はとても感動した。その一人は、石川県の中量級のチャンピオンだった清水直樹君だ。彼と私は、高校生の頃、同じ階級だった。彼とは県大会で対戦し、私が敗れている。彼は中学生の頃から石川県のチャンピオンで、岩井塾の代表選手だった。
昔から彼は、もの静かではあったが、決して無愛想ではなく、話せばフランクな男だ。「わが道を往く」というような男である。私は彼を昔から「男らしい奴だな」と思っていた。
もう一人は、野村裕樹君、彼も忘れられない同級生の一人だ。
彼は重量級で石川県立工業高・柔道部のインターハイの団体戦の主将を努めたそうだ。中学時代は相撲もやっていたそうだ(元々は相撲出身らしい)。
中学生の頃、私にとって、初めての柔道の試合で彼と対戦している。私は彼に巻き込まれて抑え込まれた。そして肩固めで極められた。
何十年ぶりかの再会で、かなり顔に貫禄?がついたが、すぐに野村君だと解った。彼は中学生の頃から親分のような風貌だった。少しからかった言い方をすれば、「ジャイアン・タイプ」である(笑い)。
彼は、私のそんなからかいなど意に介さないようだ(笑い)。私はそこが好きだ。彼は皆が認める親分肌の人間だ。
私は彼らと2次会の場を持った。そして、他の中学、高校の柔道部だった者達も呼んで盛り上がった。
仕事の異なる男達が、幼い頃の思い出で繫がる(柔道の)・・・。
そこに利害関係はない。とても楽しかった。
昔から「同じ釜の飯を食った仲間」と云うが、「柔道」という「同じ釜の飯」を食べたもの同士、心が通い合った。
2次会では、7名程の同級生が集まったが、皆、「知命(論語による)」の年齢であり、人生のプレッシャーもあるとは思う。しかし、みんな頑張っているようだ。
私は少々疲れ気味だが、「弱気はいけない」「私も頑張っていこう」と思い直した。
【師と父】
次に「師と父」だが、祝賀会で岩井克良先生は、岩井柔道塾の沿革について、会の初めにスピーチをされた。
本ブログ冒頭の牛島辰熊師範の話は、その際のものである。
その話は延々と続いた。その話はとても興味深く、また感動もした。私はずっと聞いていたかったが、式(祝賀会)の進行の都合で中断された。
少しだけお伝えすれば、創始者の岩井良美師範は、警視庁で永岡秀一、中野正三師範の薫陶を受けたそうだ。また、冒頭に挙げた牛島辰熊師範とは、木村政彦師範の師である。私はその方々の名前を記憶していた。なぜなら私は、柔道を始めた頃、よく柔道の本をよく読んだからだ。大袈裟に云えば、伝説の柔道家の方々なのだ。また、2代目の岩井克良先生(私の先生)は、ご自分のことを余り語られなかったが、ご自身は中央大学の柔道部出身で文武両道の武道家である。2才上には、岡野功師範がいる。
少々脱線するが、実は柔道を始めた当初、私には柔道を教えてくれる先生がいなかった。私は仕方なく、経験者を含む柔道部員を集めた。そして、経験者に技に関する質問しながら、また本を読んで、柔道の技に関する自分の仮説を立てた。そして仮説を基に、実験するように稽古をした。そのことは拙著にも書いた。
柔道に限らず、人生に迷った時、私は良書(書籍)を探し求めた。私はこれまで、書籍によって助けられたことがある。ゆえに、私は書籍が大好きである。本当はもっともっと本を読みたい。
話を戻すと、2代目の岩井克良先生の話を聞き、岩井柔道塾の創設者である、岩井良美師範の柔道に対する情熱と人柄、ひたむきさが、多くの素晴らしい先輩、支援者、門人を呼び込んだと感じた。
同時に、岩井克良先生の、師に対する、そして父に対する深い尊敬と感謝の念が感じられた。それが私にとって一番、感動した部分である。
岩井克良先生は10年程前に、身体を悪くし、リハビリを続けている。
しかしながら、杖を携えつつも、背筋がしゃんと伸び、立ち姿と雰囲気がとても素晴らしい。
【「ふるさと」について】
最後のキーワードは、「ふるさと」だが、私は帰省の際、「金沢は本当に良いところだ」といつも思い直している(思い直すのは、嫌だ嫌だと思った時期もあったから・・・)。
金沢は、「犀川」「浅野川」と2本の川が流れ、いつも太陽が白山を含む山々から上り、日本海に太陽が沈む。
これも拙著に書いたが、私が生まれたのは、犀川を跨いだところにある、西の茶屋街に生まれた。金沢には東と西の茶屋街がある。浅野側の東の茶屋街は観光名所であり、作家の五木寛之先生も住んでいたことで有名である。昔、私は五木寛之の著作をよく読んだ時期がある。
一方、私の生家があった、西の茶屋街は寂れていた。最近は観光名所として整備されたようだ。
私の生家(今はない)は、茶屋だったものを豆腐屋として使っていた。
ゆえに、TVで京都の町家や茶屋を見ると、とても懐かしい。
また、小学校の頃、よく写生の授業があった金沢の中心地の公園付近は、現在、公園以外にも立派な商業ビルや美術館が建ち並んでいる。
町中を通れば、50を過ぎた今でも、昔の記憶が蘇って来る。
また、私は帰省の際、必ず墓参りをするが、そこからの景色が大好きである。
家の墓は、野田山墓地というところにあるが、私はそこが大好きである。心が落ち着く。
先日も墓参りをした。その時、私の家の墓の上の方に「カトリック」の信者の墓の一角があることに気づかされた。なぜなら、先日の連休の際、墓参りをした際、カトリックの信者の会が催されていたからだ。朝方の墓地には、私の他、30名近くのカトリック信者達(外人の神父様も含む)がお参りをしていた。とても雰囲気が良かった。
今回の帰省は、道場の引っ越し作業の合間だったので、慌ただしかった(忙しいのは、いつものことだが)。
まだ、引っ越しに関する残務がある。正直、こんな長いブログを書いている場合ではないが、頭の中の整理と気を鎮めるためにブログを書いている。
【追伸】
追伸ではないが、もう一つ書き記したい。私は、ここ数週間、出張が続いた。その中、ずっと聞いている曲がある。
「風が歌う地」というギターの曲である。
私は、岩井塾の祝賀会の数週間前の10月18日、ニューヨークを拠点に活動するギタリストの大竹史郎氏のコンサートに行ってきた。
大竹史郎氏は、アルゼンチン・ギタリストの巨匠、ユパンキの後継者とニューヨークでは評価が高いそうだ。
私は、先述の曲をその時に聴き、大変気に入ったのだ。大竹史郎氏は、私の友人の宮沢君の同窓生である。大竹史郎氏は宮沢君と同じ高校で久保田紹山師範から松濤館空手道を学んでいたそうだ。
私は、銀座でコンサートがあった日の後、宮沢君を始め、彼の高校の同窓生、また空手部の顧問だった、久保田先生(英語の先生)と一緒に2次会に参加した。
男女が混ざっての2次会だっが、私も同じ高校の同窓生のようで、とても楽しい時間を持てた。
大竹氏は、2次会には参加できなかった。コンサートの直後、この曲が好きだと私は伝えたら、早速CDを送ってくれた。実は、私はこの曲を既に400回は聞いた。
私は、「風が歌う地」を車とアイホンに入れ、リピートモードで繰り返し聞いている。私は今、空手道や武道に関する思索や、人生について考えたいと思っている。中々、まとまった時間は作れないが、僅かな隙間の時間に思うことがある。今回の墓参りの時間もそうであった。
その時に、「風が歌う地」は見事にはまっていた。
この曲に関する感想は、再度、書き記したいと思っている。とりあえずは、大竹氏への思いを書き記し、再会の機会を待ちたいと思う。
また、「風が歌う地」がアップされているユーチューブへリンクを張って置く。是非、聞いていただきたい。人生を振り返るBGMとして最適だと思う。「人生など振り返らない?」そう言わず、たまには自分の人生を振り返ってみたらどうでしょうか(笑い)。
「風が歌う地」大竹史郎
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「柔道」「幼なじみ(仲間)」「ふるさと」「師と父」
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