上達への考え方〜昇級審査会を終えて
デジタル空手武道通信 第70号 巻頭言より
増田道場において黒帯を目指し、本当に上達したいなら、まず全ての審査項目をC評価になることを目指してください。その上で、黒帯を目指すなら、B評価以上に上げるための努力をする。ただし、努力をするには、自分のどこの部分が良くないかを正確に把握する必要があります。把握とは、デジタル教本の動画と自分の審査会の映像を見比べて、自分の動きを客観的に認識できるようになることです。そしてその違いを改善していくことです。ただし、教本動画も完璧ではなく、演武者の癖が反映されています。それでも、さまざまな癖が個々人の身体に反映されてくる理由を認識することが、上達することだと述べておきます。「物事に上達すること」言い換えれば、自己の修練(稽古)の修練をより効果的なものとするには、映像を活用し、動きを分析することが有効です。私が初心者に薦めたいことは、自分の動画を見ながら、良い点、悪い点を、分析し、説明してくれる指導者を得ることです。
本道場(増田道場)においては、最低限のフィードバックをしますが、十分ではありません。その理由は、道場では大勢で行う合同稽古が主なので、個々人の癖を直すという面では不十分だからです。また、そんな指導をすれば、合同稽古に計画性、一貫性がなくなります。また、ストレートなフィードバックを受けた生徒は、意気消沈してしまうかもしれません。もし、そのような稽古を希望するならば、ストレートなフィードバックを受け入れられるよう、信頼できる指導員の個人指導を受けるしかありません。
私の道場では昇級のみならず、昇段審査及び認定を行なっていますが、今後、昇段審査の認定基準が引き上げます。将来、段位(黒帯)を取得したい人は、昇級審査の段階から、明確な修練を積み上げなければならないでしょう。また現在の有段者も原点に立ち戻ることを意識してください。
私が推薦する方法は、私の考えを正確に理解している有段者に自分の映像を見てもらって、フィードバックをもらうことです。そのフィードバックを参考に、自分の動きの修正に挑んでください。つまり、稽古・修練とは、今の自分を明確に把握しつつも、理想を描き、その理想の姿に変えるための行動(勝負)に果敢に挑戦していくことなのです。問題は私の考えを本当に理解している指導者はほとんどいないことです。故に、審査会は私の考えを本当に理解させるための修練でもあるのです。故に、本当は初心者にこそ、私の考えを理解させなければならない。しかし近年は、道場生の多くが子供です。その子供や親の感情的なレベルに合わせているから、空手などの現代武道と言われているものが、いつまで経っても、武道というの概念からは程遠いものとなっているのだと私は考えています。そして、このことの影響が、「道」というものを理解する修練者が皆無であることの原因かもしれないと思っています。
参考までに、補足をすれば、私は決して器用な人間ではありません。しかしながら、幼い頃から自分の姿を大きな鏡に写し、毎日、それを見続けました。そして、変わることを望み続けました。しかしながら、なかなか自分の動きや姿は変わりませんでした。それでも、少しづつ変わっていくのを感じることもありました。その繰り返しを50年以上も続けています。そして、私の思いとは関係なく、身体が衰え、劣化していくことを知りました。それでも、その老化、劣化を受け入れ、それを活かしながら、自分の新たば動き、そして姿を目指し続けること。それが「道」の修練というものなのです。そう考えると、身体が衰え、劣化したこれからが本当の修練、そして修行の始まりだとも思えてきました。
将棋で例えれば、「終盤」の営みと言って良いでしょう。終盤の営みに際しては、将棋がそうであるように、「直感精読」で最短最速で最善手を選び取り、王様を追い詰めなければなりません。人生でいえば、自己の生命を、誰にも負けないような絶対境地に至らせることです。
さらに、将棋に例え換言すれば、終盤とは王手をかけなければ、自分が王手をかけられてしまう状況です。そのような状況では、何が一番大切か深く考えること。そして、その大切なものを護るために、また活かすために、どのような「手」、すなわち「行動」をすれば良いかを考え、実践することです。それができなければ、自分の王様(一番大切なもの)を失ってしまいます。故に、終盤とはスピードが命なのです。そのスピードがなければ、最善手を選び、それを活かすことはできないでしょう。
おそらく、多くの人が自分の置かれている状況を終盤だとは認識できていないと思います。もちろん若い人の人生には、多くの可能性があるでしょう。しかし、私の場合、十代の頃に死にたくなるような挫折を経験して以来、いつも「終盤」を意識してきました。その結果、多くの人に誤解を与え、不快な思いをさせたかもしれません。しかしながら、今、改めて思うことは、「一日一生」「毎日が勝負」だと思っています。その考えは変えません。ただ、そのことによって多くの人と距離ができてしまったことは悲しいことだと思っています。