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Channel: 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
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私はイチロー選手が大好きである 〜編集後記第37号

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私はイチロー選手が大好きである〜編集後記第37号

 

デジタル空手武道通信第37号はこちらから

 

 毎年のことだが、年末を迎えると、時の流れの早さを感じる。

さらに言えば、私は数年前のことを思い出せない。これは私だけのことだろう。脳のスペックが低い。残念ながら。それにもかかわらず、いつも未来を見据え、考えを巡らしている。もちろん、今何をするかで手一杯だというのが現実だが、その行動は明確に未来を見据えている。補足を加えれば、未来はすぐそこにあり、今をどう生きるかが未来を決める、と私は考えている。

 時々、息苦しくなるが、幼い頃からの性格である。しかしながら、もう還暦近い歳になった。もっと足元を見つめなければと反省している。

 

 先日、仕事の合間、テレビに目を向けると、野球選手のイチロー選手のコメントを映し出していた。私はイチロー選手が大好きである。私はそのコメントに痺れた。テレビでは皆、同様のコメントをしていた。

 

【「経験を大事にしてほしい」「自分が自分の教育者になって欲しい」】

 イチロー選手は、知識が豊富な時代だが、だからこそ、「経験を大事にしてほしい」と語っていた。拝聴すべきは、その経験の中で感じることを大事にして欲しいと語っていたところである。それを子供達に優しく語りかけていた。

 

 また「自分が自分の教育者になって欲しい」と語っていたように思う。できれば、再度、その番組を観たい。その言葉にも痺れた。

 

 少し自慢めいて聞こえたら勘弁して欲しいのだが、「経験の中で感じることを大事にする」「自分が自分の教育者になる」ということは、私の人生から得た、哲学と同じである。

 

 だからこそ、私は空手の稽古を試合経験、組手経験の中にこそ、最も重要なことだと、伝えていきたい。誰よりも厳しい試合を経験したから言える。勝敗は関係ない。だが、少なくとも、試合の結果を寝ても覚めても考え続けた、若いころがある。なぜ、勝てなかったのか?そんな問いかけを毎日、寝ながらも続けた。おそらく、イチロー選手にも、同様の問いかけがあったに違いない。

 またイチロー選手は過去に以下のように言っていた、と記憶する。それは「4000本安打の裏には、8000本の悔しい思いがある」「僕はその悔しさに真剣に向き合ってきた」「その結果が4000本だが、その結果には、あまり興味がない。むしろ、その悔しい8000本の体験の中に私の真の誇りがあるし、大事なものがある」

 私は、その言葉に痺れた。増田流に解説をすれば、イチロー選手にとって失敗は失敗ではない。その失敗を大切に抱きしめ、その中から生まれ出てくるものをつかんでいるのだ。その生まれ出るものが成功に導く何かだ、と言えば、安直な解説だ。おそらく、イチロー選手は成功とか失敗とかいう言葉は使わないだろう。彼は「悔しさ」と表現していた。だが、仮に失敗という言葉を使えば、イチロー選手はその失敗(悔しさ)に誠実に対峙し続け、それを糧にしていたように思う。その態度、姿勢が最も尊敬に値する部分だ。

 

 同時に、イチロー選手は、相手が納得し、観客が納得し、自分も納得する。否、相手が感動し、観客が感動し、自分も感動する。そんなプレーを生み出すために、ひたすら自己を磨き上げていたのだと思うのだ。それがイチロー選手にとっての成功ではないだろうか。否、実は成功という言葉はイチロー選手にとってのゴールではないだろう。換言すれば野球から得られる感動を観客、相手選手と共に味わう。それがイチロー選手のゴールだと直感する。

 

【拓心武道メソッド(増田式武道メソッド)〜全身で他者と対峙し、コミュニケーションするということが、経験ということの本質】

 

 そのようなゴール設定をすることが、増田章が極真空手に求める未来像だ。ゆえに組手試合の方法を変更した。なぜなら、試合の結果をより正しく振り返ることが重要だからである。情緒的な価値観はその振り返りには邪魔なものである。もちろん人間が情緒的な生き物であり、それを制御することが人間にとって重要なことは理解している。だが、スポーツや武道修練に関しては、もっと明確なデータ解析が必要なのだ。 私は、空手武道をそのような手段にしたいと考えている。  

 

 ゆえに増田式武道メソッドでは試合を重要視したい。しっかりと準備をすれば歳を取っても体験できるようにメソッドを考えてある。その意義は、野球がそうであるように、相手との交流、コミュニケーションが人間を成長させる、重要なキーである、と私は確信しているからだ。また、全身で他者と対峙し、コミュニケーションするということが、経験ということの本質なのだと考えている。そして、そのことをより正確に掘り下げて行くことが人間を高めて行く。蛇足だが、それがヴィクトール・フランクルのいう「意味への意志」ではないか、と私は直感している。

 

 また、私の道場で柱とする武道人哲学とは、経験を恐れず、経験の中から、他者とのコミュニケーション技能を体得すること。また自分が自分自身のリーダーになることを目標にすることが核である。イチロー選手が子供達に語った、「自分が自分の教育者になる」とは、武道人哲学で唱える、リーダーシップとほとんど同じだと確信している。

 

 最後に、あまり人に憧れたりしてこなかった偏屈な人間だが、イチロー選手には、胸が高鳴るような憧れを感じる。時にイチロー選手の悪口を聞いたことがあったが、多分感性が合うんだろう。今後の野球界での活躍を楽しみにしている。繰り返すが、私はイチロー選手が大好きである。

 

 

 


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