時々、発作のように故郷に帰りたくなる。
そこには、僕を支えた母はもういない。
僕を溺愛した祖母もいない。
だが、50年近くの歳月が一瞬に思えるほど、そこは変わっていない。
僕が幼い頃、そこには人が大勢いた。今はもう、その様子はない。
でも、そこに帰ると、その時のことを、この間の事のように思い出す。
同時に、東京にいる自分の家族が愛おしく思えてくる。
思い起こせば、僕の父は、幼い僕を車に乗せ、よく自分の実家へ連れていった。
僕は幼い頃、父の実家が大好きだった。僕は、もう一人の祖母にも可愛がられた。そして、いとこのお姉さんが大好きだった。
そんな僕も父親となり、わが息子を車の助手席に乗せるようになった。そんな時、昔の父の姿と幼かった自分を思い出す。
口うるさかったようにも思うが、優しい父だったと記憶している(記憶は良い思い出だけが残っているようだ。断っておくが父はまだ死んではいない)。
北陸新幹線が開通し、電車に乗れば、これまでの半分ほどの時間で帰れるようになった。
だが田舎で暮らす僕は、いつも車で帰省する。
もし、制限速度を守らなければ、5時間ほどで帰れるが、制限速度を守れば7時間はかかる。
もう僕も若くない。制限速度を守り、ゆっくりと帰る事にしている。
しかし、7時間の旅はきつい。それでも故郷へ帰りたくなるのは、父に会いたいからである。
幼い頃の僕は、いつも空手の練習に明け暮れていた。高校生の頃は、甲子園を目指す高校球児にも負けないぐらい、空手の為の訓練をしていたことを誰も知らないだろう。ゆえに、普通の若者らしい思い出はあまりない。本当にアウトサイダーだった僕は、自分の誇りの全てを空手に賭けたのだ。
若い頃の一時期、僕は家族に迷惑をかけた事がある。ゆえに、僕の残りの人生は、迷惑をかけた家族に対する贖罪だと思っている(大したことはできないが)。また、変わり者の僕と仲良くしてくれた友達の一人ひとりにありがとうと言いたい。
「まだ、人生が終わったわけじゃないのに」と人は笑うだろうが、日に日に故郷に対する感謝の念と懐かしさが強くなる。
さて話は変わるが、リオのオリンピックがこれから始まる。
諸問題があるようだが、僕は若い日本選手の活躍を期待している。
体操、陸上、柔道、レスリング、卓球、サッカー、フェンシング、バレーボール、ラグビー、水泳、重量挙げ、などなど。
全員が無事に力を発揮できることを祈っている。
僕には、リオのオリンピック、もう一つ注視したいことがある。それは、ブラジル日系移民の方々の日本人選手への感想である。
僕は、京セラの稲盛和夫名誉会長の主宰する塾の勉強会でブラジルを訪れたことがある。その時に、多くのブラジルの移民の方々の苦労とその偉大な業績を知った。
幼い頃、ブラジルは日系人が一番多い国と聞いたことはあったが、日系人について考えたことなど、それまでなかった。しかし、実際に日本からブラジルへ行き、日系移民の口から話を聞くと、認識は全く異なるものとなった。
日本から遠く離れたブラジルでの今回のオリンピック、関係者も大変だと想像する(人間の疲労度は移動距離に比例するときいた事がある?)。だからこそ、今回のオリンピックで、選手の頑張りのみならず、祖国からはるか遠く離れたブラジルで頑張った、日系移民の方々の気持ちを慮るのも良いのではないかと思う。
僕は移民の方々に対して、アウトサイダーとしてではなく、同胞として尊敬の念を持っている。
また、日本に住む我々には、「すぐにでも帰りたい」と、移民の方々が思うような日本・故郷を創っていくという自覚が必要だと思っている(もう移民1世の方々は存命ではないかな…?でも2世、3世の方に対しても同じだ)。
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故郷
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